カン太とボク
   ボクは中学時代に一羽のカラスを飼っていた。名前はカン太。
 当時、家では沢山の野鳥や養鳥を飼っていた。父の趣味で、枚方にあった小鳥屋からめずらしい野鳥を買ってきては僕や弟に世話をさせた。

 野鳥ではメジロ、ホオジロ、ウグイス、オオルリ、キビタキ,コマドリ、ウソ、それに僕達が近所の山でかすみ網で捕まえたエナガ、シジュウガラ、ヤマガラ、アオジ、また巣からヒナを捕ってきて育てた子飼いのヒバリやモズ、もらったカラスやトビ、その他養鳥ではブンチョウ、ジュウシマツ、キンカチョウ、セキセイインコ、カナリヤ、伝書バト、など沢山の小鳥の世話を弟と苦労してやっていた。特に野鳥の夏の朝夕2回のすり餌作りと冬のフン掃除は大変だった。コマツナを買うのはもったいないので毎朝ハコベやアカザを採りに行った。冬には探すのに苦労した。今思い出すと、よくやったなあと自分ながら感心するが、ボクが獣医師となった原点はここにあると思う。
当時はまだ野鳥飼育の規制がさほどうるさくなかったからできたことであって、今では到底できないことだ。

 スリ餌の基本は米粉、きなこ、魚粉、野菜で、これを小鳥の食性に合わせて適切に混ぜ、水を加えすり鉢で擦って作る。ボクの家は裕福でなかったので、市販の野鳥のスリ餌などとても買えない。クズ米、クズ大豆を農家から安く買ってきて炒り、石臼で粉にした。魚粉は淀川のクリークや池で釣ってきた鮒を蒸して天日に干し、よく乾燥させてから石臼で挽いて作った。例えば虫を食べるウグイス、オオルリ、コマドリなどには魚粉の多い6分餌や7分餌、木の実、果実や蜜を好むメジロなどには魚粉の少ない3分餌など、この調合が野鳥を上手く飼育する秘訣で、小鳥屋のオヤジからこの調合比を聞き出すのに一苦労したものだ。皆試行錯誤で此の比率を研究していた。

 かすみ網で捕まえた野鳥のほとんどは、餌付けが失敗し死んでいったが、慣れてくるとそれがわかるので放すようになった。とは言えボクの掌で死んでいった小鳥は数知れない。今から思えば可哀想なことをした。

 確か中学一年の時、近所の悪ガキがカラスの巣から未だ目の開かないヒナを捕ってきたが、飼いきれないからとボクにくれ、カン太と名付けて大事に育てた。カラスは雑食で人間の食べるものなら何でも食べるので飼いやすい。特に肉類は好きだった。カン太はボクを見ると羽を震わせ、目を細め、真っ赤な口を大きく開け、ギャオギャオと甘え声をだして餌をせがんだ。

 鳥には目に表情があるものと、無表情のものとがある。それは瞼の締まり具合で、例えばハトやニワトリの目はパッチリとして無表情だが、カラスやブンチョウの目には表情がある。

 カン太はぐんぐん大きくなり、人が入れるぐらい大きな小屋を作ってやった。数ヶ月ですっかり頼もしく成長したが、カーカーと鳴くことはなく、ボクの顔を見れば相変わらずギャオギャオと甘えた。
 
 こうしたある日、カン太は開いていた扉から逃げ出した。しかし遠くへは飛んで行かず、不思議そうに家の屋根からあちこち見たり、庭に降りて何かをつついたりしてひとしきり遊んでから、餌につられて自から小屋へ帰ってきた。それ以来、毎日出歩くようになり、次第に放し飼い状態となっていった。餌は食べに帰ってきたが、行動範囲は次第に広がっていった。しかし困ったことに、それにつれてご近所から苦情が出始めた。洗濯物の上にとまったとか、つついたとか、糞をしたとか、その度に母と一緒に何度謝りに行ったことか。

 ある天気の良い昼下がり、庭からウグイス、メジロ、カナリヤ、オオルリ、コマドリ、ヒバリなど、当時飼っていた鳥の鳴き声が次々に聞こえてきた。不審に思ってのぞいてみると、カン太が庭の木にとまってゴキゲンで囀っていた。物真似をしているのだ。しかも適当に作曲して、いろいろな小鳥の鳴き声があちこちに混ざっている。考えてみるとカン太はカラスの声を聞かないで育った。他の小鳥たちの声を聞いて育った。だからカン太はカーカーと鳴くことは殆ど無く、何時もギャオギャオと物をねだる鳴き声だった。

 カラスは非常に賢い。食べ物が余ると教えもしないのに石や木の根の隙間などにそれを隠し、しかもご丁寧に木の葉や小石を拾ってきて見えぬように蓋をする。お腹がすくと隠し場所から餌をほじくり出して食べている。隠した場所をちゃんと覚えているのだ。
 カンタの悪さで一番困ったのは、女の子の帽子を狙って木や屋根から急降下し突くことだ。決まって幼稚園児の女の子が狙われる。女の子の帽子に非常に興味があるのだ。これには困った。人に危害が加われば大変だ。しかし幸いにも行動範囲が広がるにつれて、この悪さは収まっていった。
 こうしてカン太の行動範囲は次第に広がってゆき、ボクが学校へ行く時など香里園の駅まで見送ってくれるようになった。

 ある時期、カン太はボクに恋いをした。ボクの顔を見ると嬉しそうにギャオギャオ言いながら擦り寄って来る。ボクが頭や背中を撫でてやると全身の羽を膨らまし、羽を細かく震わせ目を白黒させて歓極まったような素振りを見せ、遂には尾羽根を挙げて細かく羽ばたいて交尾姿勢をとるのだ。完全にボクを彼氏と思っていた。

 こうして2年ほど経たある日、1羽の逞しい雄のカラスがカン太に興味を持ってやってきた。屋根に止まってカン太を見ながら身体を震わせ首を振りながらしきりにカーカー鳴く。最初、カン太は驚いて逃げ帰ってきたが、彼が頻繁に迎えに来るようになり、次第に彼に惹かれてゆくのがわかった。
 ボクはカン太と別れる日が近づいているのを悟った。カン太は最近では行動範囲も広がり他所で泊まってくることもあった。毎日餌を与えなくても生きて行けるようになってきた。近所の苦情もなくなるし、できれば自然に帰るのが一番だと思っていた。

 そうしたある日、彼がカン太を迎えに来た。屋根の上で2羽が仲睦まじく毛づくろいをしたあと、カーカー鳴きながら2羽連れ立って山の彼方へ飛び去った。カン太を見たのはそれが最後だった。

 カンタと過ごした数年は、今でも忘れられない楽しい若き日の想い出である。