アユの友釣り   
   
 
アユの友釣りは、アユの習性を上手く利用した日本古来の釣りだ。友釣りの発祥につ
いては1832年に狩野川での友釣りの記載が、また1697年、京都の八瀬川(今の
高野川)での記載があるとされるが、詳細は不明である。兎も角、この釣法を編み出し
た先人の自然に対する観察眼には敬服するばかりだ。

 アユは成長すると数平方メートルの縄張りを張り、そこへ他のアユが入ってくると猛然と体当たりをくらわし撃退しようとする。この性質を利用し、囮鮎に針をつけて泳がす
と、縄張りアユが猛然と攻撃しかけ、囮の針に引っかかってしまうという按配だ。
 友釣りは結構道具立てが多い。竿、糸針、曳舟(釣ったアユの入れ物)、活かし缶、タモ網、それに釣り人が着るタイツ、靴、上着、チョッキ、帽子、偏光グラス、着替え、クーラーボックス等々、一人で持って歩くのはちょっと難しいぐらいだ。どうしても車が欲しい。

  友釣り用のこれらの道具類も日進月歩で、毎年性能の良い新製品が発表される。道具は結構高く、名の通ったメーカー品を揃えると軽く100万円は超える。竿だけでも60万,70万円の世界だ。ボクには到底そんな竿は買えない。精々10万円止まりだ。糸も良いものだと10mで何千円もする。だから鮎の釣きちは女房に見放され、独り者が多いというが、確かにそれは事実だ。もっとも有名な釣り師となるとスポンサーが付くそうだが、他のスポーツと比べればたかが知れている。

 どんな釣りでもそうだが、先ず川を見てアユがいる場所がわからねばならない。そこを狙って囮を泳がせないと絶対に釣れない。アユの食み跡といってアユは餌になる川の石の表面の苔を笹の葉形に削りとり、そこが黒くなっている。つまり川の石が黒く見える付近にアユは居付いているのだ。黒い石を狙えと昔から言われている所以である。

 次に囮アユを弱らせないこと。このために釣り師は仕掛けが囮の負担にならぬよう工夫に工夫を凝らすのだ。ボクの仕掛けといえば、この数年間ほとんど変わらず進歩がない。

 数年前、ボクがさんざん釣り荒らした後に土地の釣り師がやってきて、次々にアユを釣りあげ驚いたことがある。その仕掛けを見せてもらったが、実に繊細な出来で、なるほどと納得したが、ボクはそこまで凝ろうと思わない。要は如何に囮に負担なく自由に泳がせることができるかということに尽きる。これが俗に云う「泳がせ釣り」だ。 

 ところが九頭竜川のような急流に行くと、太い仕掛けの上、さらに囮の鼻先約10cmほど前のハリスに錘を付けて急流へ放り込み囮を引っ張る、いわゆる「引き釣り」釣法だ。アユは元気に越したことはないが、弱っていてもあまり気にしない。錘で沈め引っ張っておれば良いからだ。この釣法は簡単そうだが、下手をするとすぐに錘が岩に噛み、外れなくなって結構難しい。「引き釣り」の方が勝負が早く「漁師」向きだ。九頭竜川の土地の人はほとんどが「引き釣り」だ。ボクは「引き釣り」より「泳がせ釣り」の方がのんびりして好きだ。

 アユの友釣りは回転の釣りだ。元気な野鮎が釣れればそれを囮にすると、勝手に泳いでアユを掛けてくる。それを囮にしてまたアユが掛かるという寸法だ。囮が弱ればお手上げなのだ。つまり囮が元気だと素人にも掛かる。囮が弱った時に如何に上手に掛けるかがテクニックなのだ。

 ボクのホームグラウンドは紀の川だ。あまり遠征する方ではないが、それでも狩野川、天竜川、飛騨川、木曽川、長良川、九頭竜川、姉川、熊野川、古座川、日置川、日高川、有田川、吉野川、天川、十津川、名張川、揖保川、千種川、仁淀川、銅山川、錦川、佐波川、椹野川、阿武川、高津川、五ヶ瀬川、球磨川など、結構あちこちに行っている。

 アユ釣りを初めてもう50年以上経つが、最近やっと安定して釣れるようになった気がする。何事もやはり年期が必要なのだ。

 毎年、夏が楽しみだが、年々体力の衰えを感じる。特に70歳を越えてからは毎年の衰えがはっきりわかる。この楽しみが何時までも続くよう毎日手足のトレーニングをしようと思うのだが、なかなかそうはいかない。