アユ釣り

    ボクがアユの友釣りを始めたのは学生の頃だから、もうかれこれ50年余りになる。
友釣り
   に興味を持ったきっかけは、この漁法がアユの習性を巧みに利用した日本独特の釣法だからだ。

    アユはキュウリウオ科に属し、その名の通りキュウリに似た独特の香りを放つ。したがって
   香魚ともいい、その他年魚(一年で一生を終えることに由来)、銀口魚(泳いでると口が銀色
   に光ることに由来)、渓鰮(渓流のイワシの意味)、細鱗魚(鱗が小さい)、国栖魚(奈良県
   の土着民の国栖が吉野川のアユを朝廷に献上したことに由来)などあるが、さらにその稚魚は
   地方により、成長段階によりアイ、アア、シロイオ、チョウセンバヤ、アイナゴ、ハイカラ、
   氷魚など様々だ。

    アユ釣りには、友釣りの他、河口でシラスの頭を餌にする餌釣り、擬似の毛鉤釣り、シラス
   を潰した練り餌を籠にいれサビキ状にした金玉カラバリでつるサビキ釣り、段々状に付けた針
   で引っ掛ける素掛け(コロガシ、段引き)、水中メガネで川に入って針で引っ掛けるちょん掛
   けなど、地方により様々な釣法がある。


    最近多くの河川では釣法を厳しく規制している所が多く、アユ釣りと言えば友釣りか素掛け
   が一般的だ
ボクは一応全ての釣法を経験したが、最近は素掛けで鮎を2,3匹捕り、それを
   囮にして友釣りを始めることが多い。囮アユを売っている所があればそこで囮アユを買うが、
   川によっては囮アユを売っていない所があるので、友釣りをするには素掛けの技術は絶対に必
   要だ。


      先に触れたがアユは一年魚で、前年の秋に河口付近で産卵し、孵化した稚魚が海に下り、
   そこで育った稚魚が春になると川を遡上し、川虫を食べてある程度成長すると、今度は川の石
         に着くコケを食べて育つ。琵琶湖のアユがそうであるように、最近では海の代わりにダム湖を
         利用するアユも増えている。

    川でアユが成長してくると、自分の気に入った岩で囲まれたような場所があるとそこをテリ
   トリーとし、そこによそ者のアユが入ってくると、執拗に追い回して撃退させる。したがって
   囮アユの尻尾に針を付けて泳がすと、追ってきたアユがその針に引っ掛かるという寸法だ。こ
   れが友釣りの原理だ。


    ボクが初めて行ったアユ釣りの川は、高野山の麓を流れる玉川峡だった。玉川峡は水が綺麗
   で渓相もよく、夏は川遊びができるので大勢の人がやってくる。初めはボクもその一人だった。
   水中メガネをかけて川をのぞくと、沢山のアユが流れ込みの石の周りを泳いでいるのが見えた。
   群れているのもいるし、明らかに自分のテリトリーを守っているアユもいた。


    アユと言えば夏の象徴的高級魚だから、当然捕まえて食べてみたくなる。周囲には友釣りを
   している人もたくさん居た。時々釣り上げているのを見ると自分もやってみようと思うのは当
   然だ。
 
    そこで先ずアユ釣りの方法を書いた釣り雑誌を購入して、一般的な知識を習得した。ボクの
   多くの趣味は大抵本を読んで自分で実践することから始まる。唯一、本を読まずに最初から先
   生に教えを乞うて習得した趣味は、俳句とダンスと卓球だけだ。
 

      見よう見まねで意気揚々とアユの友釣りを始めたが、実際はそう簡単なものではなかった。
   囮アユがすぐに弱ってしまい思うように泳いでくれない。正直なところ友釣りは囮次第で、囮
   が元気でないとお話にならない。元気な囮は自らいい場所に入って行ってアユを掛けてくる。

   当時、1匹300円の囮を数匹買っても、最初の頃は1匹も釣れなかった。何回目かに初めてアユ
   を釣った歓びは今でもはっきり覚えている。その時は確か2匹釣った。


    渓流は水が澄んでいるから囮アユの動き、アユが掛かった瞬間が目で見えることがある。
   れは渓流釣りならではのアユ釣りの面白さと言えよう。


    それからアユ釣りの舞台は紀の川に移った。それには今は亡きT先生との出会いがきっかけだ。
   ボクが和歌山市で講演会を持った時、大勢の講習生の中で際立って日焼けし真っ黒なのはT先生
   だった。釣り師や漁師はただ顔が日焼けで黒いだけではなく、目に独特の精悍さがちらつくの
   でそれと判る。休憩時間に声をけたらやはり大のアユ釣りファンだという。それが高じて紀の
   川筋の橋本で獣医科病院を開業をしたということも後で判った。


      彼の病院は国道筋にあったから、ボクもよく通って知っていた。アユがご縁で彼と親しくな
   り、紀の川筋の釣り場、釣り仲間を紹介して下さり、ボクのアユの世界は一気に広がった。T先
   生はアユ釣りの名人で、診療の合間をぬってはボクの釣りを見に来てくれ、ほんのちょっとの
   間に何匹もアユを釣り、ボクの活かし缶に元気なアユを入れては帰っていった。T先生は猟も好
   きな人で、猟期の冬場は自分の車に寝泊まりして本職の仕事と猟師をこなしていた。お陰で毎
   年冬には美味い猪肉や鹿肉がふんだんに食べられた。その代わり手の負えない病気のイヌやネ
   コはボクが診ることになった。彼のお陰で紀の川筋はもちろん、その上流の吉野川筋の猟師や
   アユ釣り師とも知り合い、ボクのアユ釣りの世界は飛躍的に広がったが、T先生は生活の無茶が
   祟り40代で脳溢血で亡くなった。彼がご縁で知り合った吉野の釣り師や猟師とは未だに親しく
   付き合っている。

    話はそれるが、岐阜の可児市で開業をされているI先生も、T先生と同じ御縁で知り合った釣
   り仲間の一人だ。彼とは可児市で開催された講演会で知り合った。その後県下の有名河川のア
   ユ釣りやアマゴ釣りに誘って頂き、そのご縁は現在も続き、この9月にもアユ釣りにご一緒す
   ることになっている。

    一度だけアユ釣りが目的で引き受けた講演会もあった。長野県伊那市でやった講演会がそう
   で、そこにはアユ釣りで有名な天竜川が流れている。アユ釣りを条件に講演を引き受けた。講演
   会の翌日地元の獣医師でアユ釣りの好きな連中とアユ釣り大会となった。優勝したのはダントツ
   の差でボクだったのには自分でも信じられなかった。余りにボクだけが釣れるので最後には皆
   んな釣りを止めボクの釣りを見ていた。夕食には他の人も加わり宴会になったが、そこにはボ
   クが釣った見事なアユの塩焼きが並び一躍有名となった。そんな御縁から伊那には再度招かれ
   ることになった。

    ボクの友釣りの特徴は、今でも鼻環を使わず背環を使うことだ。友アユを固定するのにアユ
   の鼻の穴に環を通すのを鼻環といい、背中に通すのを背環というが、後者のほうが圧倒的に友
   アユが自由に泳ぐという利点がある代わりに、野アユが掛かった時に水の抵抗が大きく取り込
   みにくいという欠点がある。殆どの人は鼻環を使って居るが、ボクはどんな激流でも背環で通
   している。背環は吉野の仲間から教わった手法だ。伊那の連中が初めて見るボクの背環釣法に
   驚いていたのは実に痛快だった。ただ背環はめったに売っておらず、大阪でも数少ない大手の
   釣り道具屋で一度に沢山購入しておく。

    大河でのアユ釣りの醍醐味は、広い河原で腰まで流れに入り10mの長竿を操る爽快さ、釣れ
   たアユは大きく激流の中で走り回る豪快さ、逃げようと抵抗するアユを何とか竿の操作でこら
   え、ようやく網に取り込んだ時の歓び、渓流のアユ釣りとはまた違う面白さがある。


    ボクの家の近くにアユ釣り名人が居るのを偶然知り、しばらくその人の教えを請うたことがあ
   る。釣りの世界は毎年新製品が出るほど日進月歩する中で、彼は昔ながらの彼独自の釣法を頑
   なに守っている人だったが、どんな状況でも必ず獲物を捕らえた。彼は絶対に囮アユを買わな
   い。先ず素掛けでその日の囮アユを捕るというのが彼の流儀だった。ボクも真似てやったがそう
   簡単には捕れない。何時も1匹も捕れないうちに、彼が囮を獲って分けて下さった。それからボ
   クはほとんど毎日のように出勤前に紀の川へ通い、素掛けの練習を始めた。今から思えば若か
   ったからこそできたことだ。針と重りの付いたハリスを通じで竿から感じる川底の様子が次第
   に判ってきた。素掛けとは流勢によって7〜11号ぐらいの重りの下に、イカリ型の掛け針を15
   〜20cm毎に7段ほどハリスに結んだ仕掛けで、川底すれすれに引いて泳いでいるアユを引っ
   掛ける釣法だ。基本的には仕掛けを対岸に投げ入れ流れに乗せて扇状に引いてくる横引きと、
   下流から上流へ引く縦引きがあるが、川幅が広ければ横引き、瀬のような川幅が狭く激流では
   縦引きを用いることが多い。下手をすればすぐに重りや針が底の岩に引っかかり、針やハリス
   が切れてしまう。しかし底を狙わねばアユは絶対掛からない。ここが難しいところで、何回か
   流せば川底が読めてくる。兎も角練習しかない。こうして次第に素掛けでアユが掛かるように
   なって来た。

 
    素掛けに本当に自信ができたのは山口へ転勤してからだ。県内にも何本かのアユの川がある
   が、ほとんど囮屋がない。友釣りをしたければ先ず囮アユを自分で捕まえるしか無い。ここで、
   どんな状況でも必ず囮アユを捕ることができるという自信ができた。

    現在、紀の川には沢山のアユが居るにもかかわらず友釣りをする人をほとんど見かけない。囮
   屋が無く、もし友釣りをしたいなら囮は自分で捕るしかないからだ。昔は川の傍にあちこちに
   囮屋があった。何処の瀬も竿の長さ毎に人が入るほど釣り人が立ち並んでいた。今でもちゃん
   と管理、運営されている川は、釣り人で一杯だ。


    紀の川は一時川の汚染がひどく、釣り人が敬遠して川から遠のいてから川の管理、運営が悪
   くなり、川の水が綺麗になった現在でもその状況が続き、囮屋が少ないために多くの友釣りファ
   ンは釣りができず、川はガラ空き状態だ。昔は関西で「一瀬一人」など考えられなかったが、
   今はその夢が現実となっている。素掛けができる友釣りファンがほとんど居ないからだ。ボクに
   とっては嬉しいことだが、余りにも寂しい川となった。


    今は素掛けで確実にアユが掛かるようになった。むしろ素掛けの方が数が釣れるかもしれな
   い。囮アユを売っていなくても何不自由しない。アユを沢山捕るだけなら、素掛けの方が有利だ
   ろう。水が濁っていようが、多少増水しようが、川の状況に関係なく確実に掛かる。むしろ川の
   水が濁っている方がよく掛かる。

    ボクは現役時代、毎年夏休みに3日間ほど岐阜大学へ非常勤講師として十年余り通ったことが
   ある。目的は言うまでもなく学生に講義することだが、実はそれ以外に長良川でアユ釣りが楽し
   めるというおまけがあった。実際釣った回数はそれほど多くはないが、毎年道具一式を車に乗せ、
   わざわざ長良川近くに宿を取って、講義が終わってから暗くなるまで数時間、無心に釣りをした
   ことを懐かしく思い出す。


    ボクが大阪からの転勤を考え始めた頃、実は他の幾つかの大学からも誘いがあったが、山口大
   学に決めた理由の一つは、水のきれいな海や川で、思う存分釣りが楽しめるだろうという浅はか
   な下心があったことは否めない。実際、自宅から数分の市内を流れる椹野川、防府を流れる佐波
   川、鳥取県境の高津川へはよくアユ釣りに行ったものだ。どの川も囮はほとんど入手できず、自
   分で素掛けで捕らねばならなかった。


    山口で初めて判ったことだが、「一人一瀬」の夢がかなった山口のアユ釣りを楽しんでいる
   うちに、何か物足らなさを感じるようになった。沢山釣れても何かもう一つ面白くない。よく考
   えてみた結果、ようやくその謎が解けた。「人の目」がないからだ。大抵のアユで有名な河川で
   は、アユが掛かると一斉に周囲の釣り師や観客の目線が集中するのが感じられ、できるだけ格好
   良く釣るように心がけた。ところが山口ではそれが全くない。自然の中でアユとボクだけの対決
   だ。なるほどアユ釣りも一種のスポーツなのだ。やはり観客や競争相手が居ないと張りがなく、
   今一つ面白みに欠ける。だからボクは漁師ではない。

             ボクが過去にアユ釣りに行った川を挙げると、東から狩野川、木曽川、大井川、九頭竜川、姉
         川、安曇川、由良川、熊野川、古座川、日置川、十津川、紀の川、吉野川、揖保川、吉野川(四
   国)、仁淀川、錦川、佐波川、椹野川、高津川、阿武川、日向川、球磨川等々である。忙しい中
   よくぞまあ、遊んだものだと我ながら呆れる。
    
    現在も、ボクは主として吉野川・紀ノ川筋でアユ釣り楽しんでいるが、アユ釣り人口の激減で
   ほとんど囮屋もなく、そう言う場合に引っ掛けが非常に役立っている。
   
    もうそろそろ友釣りも危険な年齢になってきたが、後数年何とか楽しめたらなあと思っている。


 仁淀川にて:2009.10.10