ダンス、ダンス、ダンス
 私の家内は大阪時代から十数年ものダンス歴があり、山口でもインストラクターとして大いに楽しんでいる。これまで何度か誘われたが、ダンスなんて卑猥なスポーツであり、およそ私の生き方にそぐわぬものとして、徹底的に小ばかにし、軽蔑し、無視してきた。それが今私の生活の一部となっているとは、誠に因果なことである。このことだけは、退職するまで秘密にしておこうと思っていたが、とうとう学生諸君にバラシテしまい、今では教室の誰もが知る事実となってしまった。

 私が釣り好きで野外派であるといえば、卒業生の皆さんも納得してくれると思うが、ダンスをするなどといえば、皆さん失笑されるに違いない。そんなダンスを、なぜ私かする気になったのか、これはきちんと説明しておく必要がある。

 1997年、世界小動物獣医師大会で初めてイギリスに行った時、晩餐会の後で「ダンスの夕べ」が催された。ヨーロッパの学会ではごく普通のことらしい。その時、日本人獣医師は、私も含め誰一人踊りの輪に参加できなかった。この事は私にとっては大きな屈辱であった。ヨーロッパでは社交ダンスは小学校から教えており、紳士淑女の嗜みの一つであるということは後で知った。文化の相違とはいえ、これから世界を目指す日本の若い獣医師は、ダンスぐらい踊れなければ話にならぬと痛感した。

 そう言うからには先ず自分がやらねばならない。これが事の発端である。このような按配で59歳のダンス事始となったのだが、ダンスは意外にハードなスポーツである。卑猥さはほとんど感じられない(若い綺麗な女性と組む時に何も感じないというと嘘になるが、感じる余裕がないと言った方が当っている)。また気分転換に非常に良い。仕事の憂さを忘れさせてくれる。特に私か気に入っているのは、漁師からダンサーヘの変身である。これは私だけが知り得る妙である。

と言う訳で、現在も出来る限り週3回のレッスンを続行している。正直な話、仕事を終え夕食もそこそこにレッスンに通うのは決して楽なことではない。休憩の合間に知らぬ間に舟を漕いでいることも再三である。

 ダンスは男がリードするのだから、男が下手では話にならない。鼻にもかけてもらえない。したがって私の場合、長いイバラの道であったが、最近何とか家内に対抗できるまでになってきた。長崎、別府、鹿児島などで開催された西日本ダンス選手権大会にも一般D級で出場させてもらえるようになった(ただし全て一回戦で沈没)。 こんなに苦労してなぜ試合に出ねばならないのか、時々自問することもあるが、試合に出ることにより格段に上達し真の実力がつくことも確かである。

 しかし、ここに来て私達夫婦は大きな壁にぶち当った。それは私と家内の体格の差である。カップルバランスの悪いペアーでも世界のトップがいるからと先生は励まして下さるが、私達は悲しいかな世界のトップではない。技術で体格の差をカバーするのは難しい。このことは私よりも家内の方が気にしているようだが、ダンスをするために結婚をしたのではないのだからと諦めるしかない。

 世界に通じる獣医師とは、単に学問や技術の問題だけではない。言葉はもちろんのこと、一般教養(雑学?)こそ必要である。ダンスはその一つに過ぎない。

 近い将来、イギリスのブラックプールの晴れ舞台(ダンスのメッカ)で踊ることができればと思っている。

 
山口大学農学部家畜内科学教室 室誌, No18, p7, April 2002から転載、一部修正