私の宝物

 1年に一つか二つ、私は心に光る宝物がほしいと思う。年をとるにつれその思いは大きくなって行く。それは決して高価な宝石、名誉、地位の類ではなく、他人にとっては何の変哲もない事柄、見過ごしてしまうような一瞬、自然、心の動き、人との出会い、などである。しかし、それは偶然にはめったに得られない。大抵の場合、ある程度の努力、常日頃からの鍛練、また時によっては血のにじむような努力を必要とする場合もある。

 3年前に山口大学に赴任してきた冬、川釣りの好きな私に、その人は山口県にも大山女魚がいること、秋にそれらが川を遡上し産卵することを密かに教えてくれた。しかし、その場所や時期については何も語ってくれなかったし、私も敢えて聞かなかった。それは釣人のルールである。

 私はその現場をどうしても見たいと思った。それから1年、地図をながめてはそれらしき場所をチェックし、実際にたずねては状況を確かめた。その結果、的は2ヵ所に絞られた。次は時期が問題である。産卵は秋のほんの一日か二日であり、しかもおそらく時間帯も重要であろう。私が見に行けるのは土日に限られる。しかも秋の土日は学会や研究会、それに結婚式などの行事が目白押しでそう簡単に日を選ぶことはできない。2年目の秋の終わりに、ようやく暇がとれた私は、さっそく目的の場所を訪ねた。家から約40分車で走って目的地に着いたが、それらしき何の形跡も見つからなかった。

さらに約1時間走って2ヵ所目の目的地を観察したが、やはり何も見られなかった。そう簡単に見つかる訳がないと自分なりに妙に納得した私は、場所を代えワカサギを釣り始めた。しばらくすると通りがかりの人がやって来て、向こうの方で大きな魚が死んでいるのを見かけたと告げた。少し気になったので帰る前に私はその魚を探しにいった。谷の上から見るだけではわからないので川岸まで下り、丹念に見て歩いた。すると確かに大きな魚が白い腹を見せ流れ込みの淵に枯葉に混ざって浮いていた。棒で引き寄せて見るとそれはかつて私が見たこともない大山女魚の雄であった。魚体は半ば腐乱しかかっていたが、厳つく曲がった鼻先と油鰭がその特徴をよく残していた。さらに探すと周囲の水面には40〜50cmはあろうかと思われる、いずれ劣らぬ大山女魚の雌雄が十数匹、枯葉に混ざり哀れな姿を晒していた。その痩せ具合から私は産卵後に死んだものと判断した。また魚体の状況から直観的に産卵は11月初めと推定した。そして11月3日の文化の日を中心に私の平成8年度のカレンダーには大きな赤○が付き、山女魚産卵と記されたのは言うまでもない。

待ちに待ったその日、私は幸運にも3年越しの夢をこの目で確かめることができたのである。それは本当に信じられないような光景であった。背鰭が水面から出るような浅瀬で、大きく裂けた口をかっと上流に向けて開け、一瞬雌雄が寄り添ったとみる間に互いの尾鰭を大きく震わせ、パシャと水が割れる。いつかテレビで見たのと同じ産卵場面がこの山口市の近郊で今展開されているのである。私は夢中でカメラのシャッターを切った。

インスタントカメラで撮った写真はややピンボケながら、私の宝物として現在仕事場を飾っている。

 
 1997.11.3 アマゴの産卵
                                                              山口大学農学部家畜内科学教室 室誌, No13, p4, April 1997