雑 感
     
   

   室誌の原稿を書くべく暇を見つけてはワープロに向ってすでに数週間目になります。初めは何を書こうか特に構想もなく、思うがままにキーを叩き始めたのですが、その中で私がこの一年に教室や大学で感じた率直な意見、感想等の部分をまとめて「雑感」としました。 私の感覚が鈍らぬうちに、いくつか書き留めて皆さんのご批判をいただきたいと思います。

 教室と下宿: 下宿生が多いせいかこの区別の「だらしなさ」が目立ちます。 新しい場所にかわって教室の環境はすっかり変わりましたが、それでも時々喝を入れないと勉強机の上はすぐに乱れます(特に男子)。 こうした悪い習慣はすぐに伝染していくので、お互いに気を付けなければなりません。 下宿部屋の汚さは勝手ですが、教室は下宿ではないのです。 原則的には教室内に私物を置くことは許されていないということを忘れないで下さい。

 
山口時間: 時間にルーズであること。 これは学生ばかりではありません。 教員もそうです。 さすがに全学的な会議はほぼ定刻通りに始まりますが、学部レベルになるともうだめです。俗に山口時間と言うそうですが、 いつも腹立たしく感じます。 同様に、出動簿に毎日印を押す教員も農学部でたった数人です。 実はこういう私も前任の大学では出勤簿に自ら印を押したことかありませんでした。 出勤簿があることすら知らず、みんな事務官がやってくれていたのです。私が教官になった時、出勤簿に印を押せと言わなかった事務官の責任でもあります。 しかし、こちらに来た時に最初に出動簿に印を押すよう事務から言われましたので、それは当然だと以後正直に毎日欠かさず出動簿に印を押しています。これも習慣になってしまうと、押さねば何か気持が落着きませんし、また事務官と毎朝挨拶を交わす結果となり、なかなか良いものす。 会社だったら当たり前のことなのですが、大学はどうもこういうことはいいかげんな所が多く、こんな教員は偉そうに学生を教える資格はないのではないかと最近思います。

 お祭り
山口に来て、この大学は多くのスポーツ大会、飲み会等があり、その参加者も結構多いのに感激しました。 独特の自己紹介のやり方、予餞会の余興など、それぞれに楽しく、新鮮な驚きでした。 私の学生時代にも似たようなことはよくやったもので、今でも決して嫌いな方ではありません。 ただ一年を過ぎて眺めてみると、こうした一連の行為は全て先輩から後輩へ引継がれている伝統行事であり、しかもその多くはカンパを伴うことも特徴です。 実はこの室誌も然りです。 これらは全てお祭りの発想です。
 幸い私は祭りが大好きですから余り抵抗はありませんが、祭りが嫌いな人もいるということを忘れてはなりません。 また伝統は単なる継承だけではなく、時代と伴にさらに良いものへとする工夫も必要だと思います。 さらに自分たちが飲食をしたり楽しむ会にカンパは如何がなものでしょう。 カンパは人のために集めるものです。 そして酒はもっと大切に楽しんで飲まなければなりません。 一気飲みや、飲む度にゲロをはいたり、翌日に休んだり、授業に遅れたりなどは大人としては最低です。

 入室制度: 私は現在の入室制度(受け入れ側の研究室には選択権利は一切なく、研究室が受け入れる人数を決め、後は学生同士で決める)は良くない制度だと考えています。 このような制度ができた経緯については私は知りませんが、おそらく教官サイドで決められたのだと思います。 学生には学問選択の自由があり、自分の好きな教室に入りたいと願うのは当然です。 しかし教室側にも事情があり、全ての希望者を引受ける訳にはいかない場合もあるでしょう。 ここで需要と供給 の原理が当然働くわけで、何等かの調整が必要となります。 これを全て学生に任すというのは賛成しかねます。 なぜなら話合いで決まるような問題ではないからです。 もし本当に自分の将来を考える学生ばかりだったら、喧嘩が始まって当然なのです。 声の大きな厚かましいヤツが勝つか、最後はぐじ引きやジャンケンで決めるしかないと思います。 実は大阪府大でも全く同様だったのです。 その結果、 度々学生の悲劇を見てきたのです。 学友を失ったり、嫌々入った部屋にどうしてもなじめず結局大学を辞めていった学生もいます。 何故もっと納得のいく方法を考えないのでしょう。 例えば、各教室の受け入れ人数は、その年の事情によって自ずと限界があるのですから、毎年各教室は受入れ学生数の上限を提示します。 そしてそれまでの学生の成績、あるいは入室のための試験を実施し、その順位により入室選択権を与えるとか、あるいは定員オーバーの教室は独自で選抜試験をするとか、例え結果は同じであれもっと納得できる方法はあるはずです。 私は教官側も学生もお互いに入室のために日頃からの努力が必要だと考えています。 いい学生に来てほしければ、日頃から教育や研究に熱心でなければなりません。 こうすることで教員も学生もお互いにボヤボヤできなくなり、結局は学科全体の活性化にもつながると思います。 いま大学の自己点検が盛んに言われていますが、こういう問題こそ先決だと思いす。

 
生協問題: 山口大学の特に平川地区では、今頃になって生協(生活協同組合)を作る運動が始まりました。 それ自体はとても喜ばしいことなのですが、私はむしろあきれています。 実は日本の国立大学で生協のないのは、ここと島根大学だけなのだそうです。 面白いことに(悲しいことに)日本の国立大学の中で教育改革が最も遅れており、文部省からダメ大学のレッテルが貼られたと言われる大学が、生協のない大学とほぼ一致しているのです。 
 この週末に私は「秋吉台ウォーキング・ツアー」なるものに参加しました。 これは教・職員と学生の有志による「山口大学平川地区に生協を作る会」なる会が初めて企画した催しものです。大阪府大では確か私が3回生の頃に生協が作られ、以後その恩恵だけは享受してきたものの、私はその活動に一切参加したことはありませんでした。 当時の生協は非常に政治色が濃く、私はそれに反発する立場の学生でした。 今でもそのイメージは変わっておらず、今回の催しにもその点で素直に参加するのに躊躇しました。 さらに過去30数kmも歩いた経験がなく、日頃の運動不足や年齢、体調(風邪)を考えると目的地まで歩くことは到底無理であろうと思われました。 皆さんに迷惑をかけるし、いい年をして恥をかくだけバカですよと家内ははなから問題にしません。 確かにせっかくの休日ですから好きな釣りに行く方がよほど楽しいに決まっています。 一方私は山口に来て以来、秋吉台まで自転車で行ってみたいと思っていましたし、このチャンスを逃すと恐らく一生長距離を歩かなくなりそうだという予感もありました。 体力が急速に弱りつつあることは自分自身が一番よく知っていますし、それだけにその限界を知りたいという気持も人一倍強かったのかも知れませ

 
12月3日、朝7時大学正門前集合、ということだけは正門の立て看板を見て知っていましたが、一人で参加する勇気もなく、皆で参加しようと教室員に呼びかけてはみましたが、さしたる反応もなく、とうとう決断がつきかね当日の朝を迎えました。 ぐっすり寝たのと好天が私の挑戦意欲を刺激し、即座に参加を決意しました。 急いで準備を調え始めましたが、家内は知らぬ顔で起きてもくれません。 私か余りに大声でメシ、弁当と繰り返すものですから、近所迷惑と思ったのかやっと起きてくれました。 大学に着き救援車の準備があるのを知り、安心すると同時にそんなに力む年でもないと自分自身で納得し楽な気分で出発しました。 途中、入れ代り立ち替り若い皆さんと楽しく人生を語り、景色を楽しみながら、しかし自分のペースは乱さず歩き続けました。 正直なところ距離を長く感じたり、疲労を感じるということはほとんどありませんでした。 ただ残り数キロあたりから特に左足の親指や小指の付根に激痛が走りだしました。マメができたのです。 しかし結果は、何とトップでゴールインしたのです。 久しく経験したことがなかった満足感、充実感が込み上げてきました。 きっと他の参加者全員もそうだったと思いますが、自分を、また他人を何のてらいもなく素直に褒め讃えることができる幸福感です。 しかしこの時には足の裏が腫れ上がり、とてもまともに歩ける状態ではありませんでした。 とにかく本当に素晴らしい経験をさせていただいたと、この企画をされた皆さんに私は心から感謝しています。 そして生協設立のために私ができる限りのことはしたいと今は素直に考えています。
    さて、ここで皆さんに質問。 一体この催しに何人の参加者があったと思いますか?
この一年、学内では種々のスポーツ大会をはじめ、幾多の催しがありました。 私か実際に参加したりまた後で聞いた話では、参加者は何時も想像以上に多く、私は前任の大阪府大よりも山口大学の方が何事にも活発で頼もしい学生が多いと実は喜んでいました。 もっとも田舎で娯楽が少ないこと、下宿生が多いこと、また先輩後輩の絆が強いことなども影響しているのではと考えていました。 後で知ったことですが、職員主催の今回と同様の歩く会には毎年百人以上の参加者があるそうです。
 ところで今回の参加者は、学生10名と私1人、あとはサポーターの主催者側の学生十数名です。 たったのこれだけです………。 これでは生協はおろか、当分の間平川地区に生協設立のための正式な準備会を作ることすら難しいのではないかと案じられます。私の想像では、それは「生協」というイメージの暗さ、いや恐らくは「生協」という耳慣れない言葉に対する田舎者特有のアレルギー反応ではなかったかと思います。 私の大好きなカヌーイストの野田知佑氏は「ゆらゆらとユーコン」の中に、「田舎者は、今まで食べたことがないものを決して食べようとしない」と書いていますが、まさにこれではないでしょうか。 いかもの食いが良い訳ではありませんが、好き嫌いの多い人は要注意なのです。 ちょっと申し添えますが、現在「生協を作る会」には全く政治および宗教色はありませ。

 
学生自治会: 山口大学には学生自治会がないと知りブチ(山口弁:非常に、大変の意)驚きました。 今頃どこの高校にも生徒会ぐらいはあります。 まして大学に自治会がないなんて、山大生は一体何を考えているのでしょう。 生協がないという以前の問題です。 自治会は学生の主張や立場を守る唯一の組織であるはずです。 それとも山口大学は何もかも素晴らしく自治会など必要ないのでしょうか。 私は現在学生部委員をやらされていますが、管理者側からするとこんなやりやすい大学はないと思います。 私は政治には疎い人間ですが、大学に自治会がないのは、やはりおかしいと思います。

 同窓会: 同窓会はあるようですが、端から見ていると活発に活動しているようには思えません。 山口大学出身の教・職員が少ないこと、学生の出身がほとんど他府県であることなどがその一因であるのかも知れません。 私の出身大学ではほとんど各期の卒業生が教員として残っており、全大学、各学部、各クラスに委員かおり、4年毎の名簿の発行や各種の催しを活発に行っています。 また全国には各支部会があります。 例えば昨年冬には山口支部会が下関で開かれ、約20人の同窓が集り種々の職業の方々と情報交換ができました。 さらに獣医学科では「学友会」という同窓会組織が年に2回の会報を発行し、獣医学科に係わる最新情報やクラス会情報などが送られてきます。 学閥は好みませんが、同窓会は年を経るに従い良いものだと思いますし、母校を遠く離れるほど懐かしく感じられるものです。
 同窓会同様、多くの獣医大学には開業医の組織があります。 特に私学は人数が多いこともあって、毎年母校で学会を開催している所さえあります。私の母校では40数年前から同窓の開業医が集って「大阪府大獣医臨床研友会」なる組織を作り、現在約170名の大所帯で2ヵ月に一度の研究会や親睦会を行っています。 また毎年獣医学科に寄付や優秀な卒業生に賞を与えるなど活発に活動しています。さらにその中にはゴルフ同好会、スキー同好会、 釣り同好会などがあり、昨年の夏には釣り同好会の連中10名がわざわざ山口までマクロ釣りにやって来てくれ、シケで釣果はさっぱりでしたが楽しい一時を過しました。 山口大出身者にも素晴らしい開業医が全国各地で多数活躍しておられるはずなのに、どうしてこのような会がないのか私は不思議でなりません。 こんなことは部外者の私が云々する問題ではないのですが、私にはどうも気になる問題なのです。

   室誌 先にも触れましたが、こちらに来て「室誌」なるものがあるのを知り、先輩後輩の絆が大変固いことに感激しました。 しかしよく考えてみると、これは同窓会が貧弱であるということと無関係ではないようです。 現在、内科の他に、外科、生理、微生物などでも同様の「室誌」が発行されているようですが、私はこれらがまとまった同窓会誌のようなものができれば、皆にとってもっと情報量の多い実のあるものになるのではないかと考えます。 さらに、現在のようにカンパに頼るのではなく、会費制にするべきだと思います。 近い将来、できればこのような方向に進めぬものか、関係各位と話合ってみたいと思います。 そうなれば、内科の室誌も発展的解消となるかも知れません。

    田舎者と田舎病 昨夜、夢中になってこの文章を書いている間に夜11時が過ぎていました。慌てて帰宅したのですが、それから偶然見たテレビドキュメンタリーを見て驚きました。12月5日、NHK教育テレビで五島列島三井楽町の町立病院の経営問題です。 何期も勤めた町長がボス化してしまい、医者の来てがない病院を私物化してしまう。 町会も町民も陰では文句を言うのだが公には何も発言しない。 そこへ赴任してきた若い有能な医者が余りの状況に驚き関係者に注意するが誰も相手にしない。 とうとう内部告発せざるを得ない状況になり、結果多くの職員が有罪になったが、町長自身はどうしたことか無罪で責任なし。 医者は町民から大変慕われていたが、結局は町長により解雇される。 新しい医者も来てが無く、ここで一番迷惑するのは町民だけ、 という内容のものです。  町には他の議員や議会があり、普通ならそれらの自浄作用によってめったに変な方向に進まないのですが、肝心の中の人間が田舎者ばかりだとその作用が効かなくなり、とんでもない方向に走ってしまうのです。
 かつての日本もそういう時代があったのですから、今さら驚くことではないのですが、現在我が山口大学にもその素地が十分揃っていることだけは指摘しておきたいと思います。                                                               


 以上、述べてきましたように、私か赴任当時感じた山口大学の平和、美しさ、新鮮さ、驚きの多くの部分は、実はこの大学の「田舎性」に関係していたのだと気付き、今さらながら愕然とします。 先の生協問題のところでも少し触れましたが、私は素直で素朴で好奇心が強く、生活の智恵に満々ちた田舎者は大好きですし、憧れでもあります。 しかし、逆の意味での頑固な田舎者だけにはなりたくありません。 ところが、田舎病には効果的なワクチンはなく、また簡単に感染してしまう恐れがあります。 困ったことに感染してもほとんど自覚症状はなく、むしろ感染すると結構居心地がよい病気のようです。 一般に地位の高い者ほどかかりやすく、 この病気に効く特効薬はありません。 あえて予防法といえば、素直で謙虚になること、大勢の人と付き合うこと、恋をすること、専門以外の本をよく読み雑学をすること、外国を旅することなど、いろいろあるようですが、要は自分の心の問題なのです。 一責任者として私自身が感染せぬよう最も心せねばならぬところであると痛感する次第です。

         山口大学農学部獣医学科家畜内科学教室 室誌、 No.11、 p2-6、 May 1995