パイプのけむり
    ボクはかつては大のパイプ愛好家だった。 オフィスでふかすのはルール違反だが、例えば暖炉の前のロッキングチェアーにゆったりと座り、ときどきウイスキーかブランデーを口に含みなが、早春の日向でヘラ釣りの浮きを見ながら、眺望のよい山の頂上で一服しながら、ふかすパイプは最高だ。
 パイプも凝ればピンからキリまでいろいろあるが、ボクは30〜40代の頃、一時パイプ作りに凝った時がある。地中海沿岸に自生するツツジ科の木の根瘤(ブライヤー)を購入し、それを自分で削ってパイプを作るのだ。
 写真はそのうちの一つ、正八面体のパイプで、一面削ると二十四面全てを削り直さねばならず、作るのに非常に苦労した。こんなパイプは滅多に売っていない。使えば使うほど色に深みのある味が出て来る。
 パイプをふかすのはなかなか難しい。
   パイプのけむりは肺まで吸い込むのではなく、鼻を通すだけだ。
 一回火を付けて30分以上ふかすことができるようになるまでには、そうとうの年季が必要だ。
 一定の葉を、如何に長くふかすかという世界大会があるほどだ。
 ヘタに吸うと、すぐ火種が消えてしまうし、中に溜まったズが口中に入るとイガラク、ヤニッポクて大変なことになる。
 中に貯まったヤニやズ、火口の炭化物を絶えず掃除せねばならない。
 なかなか面倒だが、上手に吹かせるようになると甘ったるい香りが何ともいえない。
 タバコの煙とはぜんぜん異なる甘い香りと味がする。

丁度掌に馴染む手頃な大きさのパイプは、使えば使うほど手の油とヤニなどが染み込み、琥珀色の何とも言えぬ色艶がでてくる。
 特に冬のパイプはよい。パイプを握る掌が心地よく温もるからだ。もう止めて数十年になるが、ボクの書斎には今でも手の届く所にパイプとMOMOYAMAが置いてある。
                                    2012. 1. 4
                                  
 
  ボクの常備食  
   ボクは食べ物でおよそ嫌いな物がない。その時の体調により好みは多少異なるが、特にこれが好きだというものもない。だから「何が食べたい」と言われたら一番困る。何でも食べたい。
 最近常備している食べ物が一つある。
 焼きスルメだ。
 いつもできるだけ大きく、肉厚のスルメを一束買ってくる。
 焼く前に、スルメをビニール袋に入れ、酒と醤油を約2:1に薄めたタレを霧吹きで吹き、冷蔵庫内で一昼夜寝かしてから焼く。熱い間に適当な大きさに裂き、フタ付きプラスチック容器に入れて好きな時につまむ。
 ボクは普通昼食は抜きだから、三時頃腹が減ったらスルメを肴にお茶を飲む。酒は飲まない。
 スルメは胃袋で膨張し、よく噛むから空腹感がなくなる。
 腹が減った時には、いつでもちょっとつまむ。
 一枚焼けば、大体3,4日はもつ。 
                                       2012.  1.  6
 
   日本の美   
   今日は午後1時から5時まで卓球の初打ちをしてきた。ボクは卓球クラブのメンバーだ。
 風呂を浴び缶ビールを1本空けて夕食を済ますや否や、何時もの通りそのまま寝込んでしまった。
 目を覚ますと、たまたまNHKの「新日本風土記スペシャル 手の国にっぽん」を家内が見ていた。
 横になったまま見るともなく見ていると、沖縄や東北の織物、伊根の舟屋、船箪笥、志野焼、広島熊野町の筆、 美濃の和紙、能登の漆器など、各地の産物やその歴史的背景、人々の生活などが綴られ、最後まで大変興味深く見てしまった。
 日本各地の風土が育てた郷土の生活必需品は、あくまで合理的であり、かつ美術的にも美しいものが多い。
 そればかりか、日本各地には他にも伝統的行事、伝統的衣装、建物、郷土料理等々、各地の生活・風土に密着した多くの物がある。
 どこの国にも、それぞれが誇る伝統的事物は必ずあるが、日本ほどそれらが豊富な国はそうないと思
う。
 それは何故か?
 日本の地形の変化と四季が、その多様性を培ってきたのだろう。スケールこそ小さいが、日本の地形にはほぼ世界中の国の地形・風土が揃っている。
 極寒から亜熱帯、春夏秋冬、高山、氷河、森、川(清い水)、湖、海、火山、砂漠、島、等々、これほど変化に富む美しい国は世界中探してもそうはない。
 さらに民族的には、中国・朝鮮系、東南アジア系、アイヌ系などが含まれ、このような自然と民族の伝統・工夫、島国という孤立性が他の民族からの侵略を防ぎ、各地独特の風俗、習慣、伝統を培ったのだろう。
 ボクたち日本人は、日本に、日本の伝統文化に、もっと自信と誇りを持たなければならない。

                                                 2012. 1. 6
 
  敗者の涙   
   新年を迎えて、ラグビー、サッカー、アメリカンフットボール等の アマチュアスポーツの決勝戦が各地で開催された。そして負けたチームの男子選手が大泣きする場面をテレビで何度か見て、しらけた気持ちになった。泣くのはきまって日本人で、外国選手が泣いているのは見たことがない。
 夏の甲子園の高校野球大会でも、負けた選手が恥じらいもなく大泣きしている。イイ男が試合に負けたぐらいで、子供のようにワーワー大声をあげて泣くなど、少なくともボクらの学生時代にはなかったように思う。今は女子選手の方が、悔し涙をぐっと堪えている。
 悔しいのは良く分かるが、「負けて泣くなど、本気で練習したんか!」と言いたくなるのはボクだけだろうか?
 勝者の涙はまだしも、敗者の涙はいただけない。
                           2012. 1. 7
 
  殉死  
   ボクの読書はもっぱら寝床である。寝床での読書は文庫本に限る。 作家は特に司馬遼太郎、開高健、太宰治のフアンで、これまで寝床で彼らのほとんどの作品を読んでしまった。
 大抵は読み始めるとすぐに睡魔が襲ってくる。しかし稀には夜更かしすることもある。
 今朝、司馬遼太郎著の「殉死」を読み終えた。文庫本220頁ほどの短編だが、著者は明治帝崩御に伴う乃木希典夫妻の殉死を、小説としてではなく、作者自身の思考材料として書いたものである。
 ボクは乃木希典の名前と殉死、旅順203高地の激戦、長州人、乃木神社等について断片的に知ってはいるが、人間乃木希典と彼が何故殉死を選んだかについてはほとんど何も知らなかったし、これまで興味もなかった。
 実は先日、京都で人と待ち合わせたのだが、予定が狂って1時間ほど駅で待つ羽目になり、喫茶店で時間つぶしのために、駅の売店でたまたまこの本を見つけた。著者が司馬で、短編であるのが購入理由である。

 内容については触れないが、乃木は殉死決行の朝、夫婦で写真を撮った。その時乃木は静子夫人を殉死の道連れに考えていなかった。彼が夫人との死を決意し、また夫人もそれに同意したのは殉死決行直前のわずか15分前だと司馬は推測している。
 乃木は決して殉死を強要しなかった。夫人がどのような心境でそれを受け入れられたか、誰もが最も知りたいところであろう。
 それにしても現在の日本で、殉死など考えられない。
 教育の恐ろしさもさることながら、人の心は時代によりこれほど変化するのである。      2012. 1. 7
 
 
  クシャミ   
   ボクの一番の泣き所は鼻だ。ほとんど一年中水鼻とクシャミに悩まされている。
 一応スギと禾本科のカモガヤ、ハルガヤの花粉アレルギーという診断はついているが、最近、黄砂アレルギーも加わった。さらに、気温の変化にも敏感だ。 調べてみると「気温差アレルギー」というのがあるそうだ。アレルギーで鼻の粘膜が敏感になり、ちょっとした気温の変化で粘膜が刺激され起こるのだそうだ。
 ボクは屋内から晴天下に出た時や太陽を仰ぎ見ただけでも、鼻がムズムズしてクシャミがでる。このクシャミは「光くしゃみ反射」といってアレルギーではなく優生遺伝し、日本人では約25%の人に起こるらしい。
 このクシャミは馬鹿にできない。高速道路のトンネル出口付近での事故や,編隊飛行中のパイロットの事故は、これが一因とされ注目されている。クシャミをする時には一瞬目をつぶってしまうからだ。ボクもこれを何度か経験し肝を冷やしたこともある。
 ボクのクシャミは大抵連続して2回起こる。クシャミは格別大きく、近所に知れわたっている。自分ながらに近所迷惑だと思うが、こらえてすると、苦しくて涙がでる。家内はこれを称して「やけくそクシャミ」という。
 マスクは鼻にはやさしいのだが、メガネが曇ってどうにもならない。
 クシャミは反射運動だから、一旦誘発されると我慢できない。
 ダンスのレッスン中のクシャミが一番困る。冬の暖房、夏の冷房の効いたレッスン場が危ない。踊りながらクシャミはできない。クシャミが出る前にはしゃべることもできない。何とか「失礼」といって相手と離れ、やおらクシャンとやるしかない。一瞬何事かと思った相手は、後から事態を知ることになる。色気も何もあったものではない。
 今日のレッスンでクシャミが出ませんように。 
                        2012. 1. 8
 
  布団干し   
   もし家内を褒めるとしたら、それは「布団干し」だ。天気の日で家にいる時には、一年を通じ午前中に必ずボクの布団を干す。
 ボクの布団はWサイズで軽い素材だが、大きくて扱いにくい。体の小さい家内は、布団に埋もれながらそれを運ぶ。ボクが気付いた時には当然手伝うが、天気の日は10時頃から探鳥に出かけるので、何時もと言う訳には行かない
 お陰でボクは、何時も太陽の香りのする布団で気持よく熟睡することができる。

 この習慣が何時まで続くのか、ほどほどにくたばってやらねばならない。             2012. 1. 9 
 
                         ポーズ  
   何時の頃からか、若者の間で写真を取るときに、いろいろなポーズをとることが流行ってきた。
 幼児や小学生まで、自分の気に入ったポーズをとる。またそれが結構サマになっている。
 さすがに我々の年代以上の者は、ほとんどポーズをとらない。ポーズするのが気恥ずかしいし、またやってもサマにならない。
 
   なぜポーズをするのだろう?格好が良いからか。皆がしているからか。気恥ずかしいさを紛らわすためか。       

 昨年の卓球クラブ忘年会の全員写真を見て驚いた。 
 22人中15人がポーズをしてい
る。これは明らかに酒の勢いによるか、皆がやったら怖くないVサインだ。
          2012. 1.10
 
   100均ショップ  
   ボクは100均ショップが大好きだ。その理由は何よりも品数が豊富で、見て歩くだけでも楽しい。よくこれほど集めたものだと感心する。
 何処で売っているのか解らぬ物を探すとき、何かちょっとした物を作るときのアイディアーが欲しいとき、なかなか売っていそうもない材料を他のもので代用したいときなど、沢山の品物を見ていてパットひらめくことがある。
 例えば、渓流釣りでハリスを切るための小さなハサミを探しに行った。 釣り道具屋でも売っている
が、遠いいし結構高い。 近くの100均ショップへ行くと、いろいろなハサミ、刃物類が沢山売っていた。さらに探していると、小さくて糸を切るにはもってこいの爪切りがあった。これなら転けたりした時にも安全だ。さらに伸縮自在のゼンマイ状の吊り下げ具も売っていた。〆て200円。これは重宝している。
 ランチュウの産卵用に、流しの角に置く使い捨て防カビ剤入りのナイロンメッシュのゴミ入れを切って広げて用いると非常に便利で、孵化率もよい。
 現役時代には毎年何処からかいただいていた手帳も、退職すると自分で買わねばならない。これが結構高く本屋で7百円以上はする。こんなものは100均ショップで探すに限る。
 ヘラ釣りの椅子に敷く100円座布団も重宝している。
 十円硬貨ほどのLED懐中電灯も明るくて、夜玄関戸の鍵穴を照らすのに便利だ。
 ただし、買う時にはちょっとした注意も必要だ。
 たった100円だから、本来安いものはともかく、まず品物に良いものはない。例えばプラスチック製品など太陽に当たると1年でだめになる。先日も料理用に1時間タイマーを買ったが、警告音がすぐに出なくなった。
 そういうことを十分承知で買うなら、あまり腹もたたない。
 最近、100円以上する品も結構売っているので、これも要注意だ。
                     2012. 1.20 
 
    ロボット  
     子供の頃、漫画で楽しんだロボットが昨今では現実のものとなってきた。2本脚で立って走ったり、ボールを蹴ったり、夜回りをするロボット。
 今日のテレビで、足の悪いお婆さんに、毎日手足のリハビリ運動を教えるロボットが出ていた。
 何も与えないでリハビリしなさいといっても、実際1ヶ月間続ける人は40%にも満たないのに、このロボットを与えると、ほぼ100%に近い人がリハビリを続けるという。
 その大きな理由は、一つはわかりやすいから、もう一つはロボットに親しみを感じるからである。
 そういえば、ボクが欲しいなあと思って忘れていたロボット?がある。ロボットとは言えないかも知れないが、ボクが手を叩いたり、触れたり、話しかけると、本当に嬉しそうにゲラゲラ笑いこける人形だ。卓球仲間と旅行に行った時、土産物屋で売っているのを見て欲しかったが、仲間がいて恥しかったのでやめた。
 100均ショップでは売ってない。あれは何処で売っているかなあ。
             2012.1.26
 
    ゲームセンター  
   最近、ゲームセンターで遊ぶ老人が増えているという。 普通の日には朝から大勢の老人が集まるらしい。夫婦連れも多いという。休みになると孫を連れてくるので、お店でも大歓迎で、休憩所は椅子の代わりに畳に替えた店も増えてきたという。
 たまに街に出ると、あちこちにゲームセンターを見るが、チカチカ光る機械を前に、遊んでいるのは大抵若い男女で、何故あんなものが楽しいのだろうと半分小バカにしていたが、最近はどうも様子が違うようだ。
 パチンコよりお金がかからず、続けているといろいろな人との交流の輪ができ、それが楽しいらし
い。暇つぶしもさることながら、老人は人との交流を求めているのだ。
 何だか納得がゆくようで、納得できないところもある。
 いやいや、人それぞれでいいのだ
とやかく言う必要は全くない。             2012. 1.26
 
   あるカモの話   
   山口に住んで先ず感じたことは、水の美味さと自然の豊かさだった。ハエやムシも多いが、家の近くには幾筋かの小川が流れ、 水は清く小魚が群れ、 年中サギがそれらを狙い、 春には瑠璃色のカワセミが、夏には源氏ボタルが、冬には沢山のマガモやコガモが羽を休めた。
 すぐそこを游ぐカモ達は、可愛いなあと思う反面、ボクはイヤシイから、あのカモを食ったらさぞかし美味いだろうなあと、密かに思っていた。
 あの忌まわしいアメリカ同時多発テロが起こった2001年冬のある日、遊びに来てくれた友達を早朝車で新幹線小郡駅まで送っていった。その日は生憎の雨で、裏日本特有の陰気な鉛色の雲が立ち込めていた。
 帰路、小川沿いの国道を走っていると、雨に濡れて川面のように光る路面に何か落ちている。通り過ぎる一瞬、それはカモとわかった。車をバックして確認すると、それは頭の千切れたメスのマガモである。15分ほど前、同じ道を通った時になかったから、それ以後に車に跳ねられたものと推定できた。刃物で切った如く頭が飛んで完全に血抜きされており、他に外傷はなく、まだ体は温みが残っていた。
 雨に濡れて光る道路を川と間違え、こうしたカモの交通事故が時々おこることを後で知ったが、ボクは有難く持ち帰り、綺麗な胸羽はアマゴ釣りの毛鉤用とし、後はカモ鍋とした。
 その味は今更言うまでもないが、こうして永年果たし得なかったボクの望みは、思わぬ神の恵みによってかなえられた。
                                                             2012.1.29
 
  うまい肉・まずい肉  
      ボクは決してゲテモノ食いではないが、食いしん坊に加え職業柄もあって、結構いろいろな動物の肉を食べた。
 ウシ、ウマ、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ウサギ、イヌ、ネコ、ネズミ、イノシシ、シカ、タヌキ、ツキノワグマ、ヒグマ、アナグマ、カンガルー、ライオン、トラ、ゾウ、イルカ、クジラ、ニワトリ、アヒル、ウズラ、ヒチメンチョウ、ハト、キジ、ヤマドリ、コジュケイ、ホロホロチョウ、ダチョウ、スズメ、ツグミ、ヒヨドリ、マガモ、カルガモ、コガモ、オシドリ、カエル、ヘビ、ワニ等々(魚類は除く)。
 総じて雑食動物が最も美味く、次いで草食動物、ネコ、トラ、ライオン等の肉食動物は小便臭くて食えたものではない。
 ヒヨドリの焼き鳥は美味い。普通捕獲はできないが、柑橘類を好ん突きまわすので農家から嫌われ、かつて空気銃で駆除されたヒヨドリが闇ルートで流れてきたことがあった。何も知らずに串焼きにして食べた鶏肉が余りにも美味かったので、聞いてみたらヒヨドリだった。
 中でも吉野の猟師に食べさっせてもらった冬のアナグマの肉は、何とも言えぬ上品で美味い油と、とろける様な肉で忘れられない味だ。

 ボクは時々無性に肉が食べたくなる。疲れている時だ。そんな時には4〜500gはぺろっと平らげてい
たが、流石に最近では2〜300gで十分だ。情けないなあ。
                      2012.1.30 
 
    相撲  
   ボクは相撲が特に好きでもないし、嫌いでもない。時間があれば終盤をテレビで見るぐらいだ。特に上位陣が外国人勢に占められるようになって、気分的に面白くなくなった。
 保守的な相撲界が、かなり以前から外国人の参入を許したのは、多分日本人力士だけでは近い将来相撲界が成り立たなくなる、という危機感が強かったからだろう。今の若者気質からして、幾ら相撲が国技だからと言っても、それは仕方のないことだと思う。
 それにしてもこれまでの日本人力士の不甲斐なさと、相撲界の不透明さは、ボクのみならず多くの相撲フアンを減らしつつある大きな原因の一つであることは否めない。
 詳しいことは知らないが、相撲協会や理事会組織のあり方など、まだまだ改善の余地がありそうだ。
 昨日、新しい理事会が発足したが、そのメンバーを見るかぎり大した改革は期待できぬと、素人のボクでも想像できる。元横綱、大関など上位で君臨した関取だけが理事に選ばれるなど、考えただけでも可笑しな話しだと思う。元来、相撲能力と角界運営能力は全く別のものである。理事になる人は、相撲のことをある程度は知っている必要があるかも知れぬが、必ずしもそうとは思わない。むしろ外部から選んだ適任者の方が客観的に物事をとらえ、相撲界の改革・発展に貢献できるのではないか? その意味で今後の角界の行方を見守りたいと思う。
 相撲界で一番感心するのは、外国人力士の強さもさることながら、外国人力士の日本語の上手さであ
る。白鵬をはじめ皆日本語が非常に上手い。日本人力士と少しも変わらない。日本での滞在期間が長いのも一因だろうが、おそらく相撲界では日本語教育が徹底しているのだろう。他のスポーツ界の外国人と比較すれば歴然としている。裏を返せば角界の保守性の一つの現われではないかとも思う。おそらく日本語ができないと徹底的にしごかれるのではなか?
 とまれ、日本人力士は外国人力士を見習わなければならないところが多々ある。 
    2012.  1.31
 
  環境破壊と異常気象 
    一昨日からの大規模な寒波で、日本全体が冷蔵庫となり猛烈な大雪に見舞われ、各地に被害が続出している。
 それにしても、昨今地球規模で起こる気象の変化、例えば大干ばつ、大雨、強風、大雪等々が極端になってきた。さらに氷河や極地の氷の溶解は年々確実に進んいる。
 これらの現象は地球温暖化の前兆と言われているが、もしそれが本当に人間が地球を破壊してきた結果であるならば、全人類が一致団結してそれに対応しない限り破滅の一途を辿ることは間違いない。
 日本を含む現在の文明国が犯してきた環境破壊に加え、発展途上国の人口増とそれらの国の文明化がさらに環境破壊に拍車をかけている。
 多分、もう取り返しのつかないところまで、環境破壊は進んでしまったのではないかと、ボクは想像している。

 いずれ地球は巨大隕石との衝突、あるいは太陽の大爆発に伴ない消滅するそうだが、そのずっと前に人口増加による環境破壊によって地球温暖化が進み、人類は滅びる可能性が非常に高い。
 ここまで来ると、それも自然の成せる技と考えるしかないのかもしれない。        2012.  2.  2
 
   恵方巻き   
   今日は2月3日、節分の日だ。
 子供が小さかった頃は、魔除けとしてヒイラギの枝の先に焼いたイワシの頭を刺してい入り口に飾
り、ボクは鬼、家内は福の手製のお面をして豆まきをしたものだが、何時の頃からか買ってきた豆だけを食べるようになり、最近では恵方巻きとやらいう太巻きを食べるようになった。
 何時の頃からこんな風習が始まったのかちょっと調べてみると、江戸時代末期から明治時代初期に、船場商人の間で商売繁盛の祈願事として始まったという説、船場の階段の中段で女性が太巻きをかじって願掛けをしたという説、船場の旦那衆が遊びとして芸者にやらせたという説などがある。その他和歌山、滋賀、栃木でもそのような風習があったらしい。
 この風習は、1983年(S58)商業的に売上の落ちる1月後半から2月初旬の販売イベントとして利用され、コンビニを中心としてスーパーマーケット、ファミリーマートで大々的に販売が開始され今日の普及となった。ところが関東では10年おくれの1990年以後らしい。さすがに食の大阪だ。
 恵方巻きは七福神に因んで、かんぴょう、きゅうり、ほうれん草、しいたけ、だし巻き、うなぎ、デンブなどの7種類の具をいれ、福を巻き込むという意味があるらしい。
 ところが最近では、中の具に色々なものが使われ種類が豊富になったし、果ては巻き寿司ならぬロール巻も登場し始めた。
 恵方巻は、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じ、一言も喋らず願い事をしながら丸かじりするのが習わしらしいが、ボクはそんなはしたない食べ方はせず、普通に切ってありがたく頂くことにしている。
                                                        2012.  2.  3
 
  May Each Day  
   12月の初めから、ボクたち夫婦は懸命にダンスのレッスンに励んできた。それは、この2月25日(土)にボクの属している大阪狭山ダンスクラブの創立30周年記念パーティーで、ソロでワルツを踊らせていただくからだ。
 家内は若い時からダンスを習っていたが、ボクが始めたのは59歳。
 それから十数年、二人合わせてすでに140歳を超えてしまったが、おそらくこれが最後の晴れ舞台ではないかと思っている。 
 曲はM. Green/G.Wileの「May Each Day」で、まさにボク達夫婦の現在の心境を歌い上げた曲だ。
 ボクはこの歌の意を、何とか踊りに表現できたらと頑張っている。


                                  May Each Day

May each day in the week be a good day             一週間のそれぞれの日が、良い日でありますように
May the Lord always watch over you                主がいつもあなたを見守ってくださいますように
And may all of your hopes turn to wishes             そして、あなたの望みのすべてが、祈りとなりますように
And may all of your wishes come true               そして、その祈りがすべて、叶いますように

May each day in the month be a good day              一ヶ月のそれぞれの日が、良い日でありますように
May you make friends with each one you meet           あなたが出会う人みんなと、仲良くなりますように
And may all of your daydreams be mem'ries           そして、あなたの夢見るすべてが、思い出となりますように

And may all of your mem'ries be sweet              そしてその思い出がすべて、甘く優しいものでありますように                            
The weeks turn to months and the months into years      週は月へ、月は年へと月日が流れてゆくとき
There'll be sadness and joy, there'll be laughter and tears  悲しみがあれば喜びもあり、笑いがあれば涙もあるでしょうけれど

But one thing I pray to heaven above              私が天に祈ることは、たった一つ
May each of your days be a day full of love          あなたの毎日が、愛にあふれていますように

May each day in the year be a good day           一年のそれぞれの日が、良い日でありますように
May each dawn find you happy and gay            夜が明けるたび、幸せで明るいあなたがいますように
And may all of your days be as lovely             そして、あなたの毎日が、心地よく素敵でありますように 
As the one you shared with me today             私と分かち合ってくれた今日のこの日と同じくらいに

May each day of your life be a good day           あなたの人生のそれぞれの日が、良い日でありますように 
And good night.                        そして、おやすみなさい

 
                                             2012.  2.  4  
   秋入学  
   最近、東大が秋入学への移行を発表し、各国立大学も右へならえの様相を呈している。
 主な理由は世界の約7割、欧米では約8割の大学が秋入学を実施しており、学生と教員の国際流動性を高めるのが最大のメリットとしている。
 確かにそれは一理あり、考慮する必要があるかもしれないが、もしやるなら小学校、中学校、高校、また会社、役所等も連動してやらないと、入学前または卒業後に約半年のブランクができ、現状では混乱が生じる。
 ボクは現状で生じるブランクは準備期間としてちょうど良い期間であり、障るほどの問題は何もないと思っている。
 ボクが米国へ留学した時もそうであった。
 日本から外国へ行く場合も、外国から日本へ来る場合も同じことが言える。
 学期終了時に欧米の大学へ留学する学生や教員がさほど多いとは思われず、残る大部分の学生が被る不利益の方が大き過ぎる。この事を十分考慮せねばならない。
 そんなことより、もっと肝心な学生の人間教育をどうするか、世界に負けぬ専門教育をどうするかに力を注ぐべきではないか。 

 秋入学にして、どれほど日本の大学がよくなるのか甚だ疑問である。                            2012.  2.  5 
 
  人形   
   人形とは文字通り人の形をしたものである。
 パッと見は可愛いかも知れないが、 ジッと観ていると次第に不気味に思えてくる。
 ボクは人形は好きではない。人間に似ている人形ほど嫌だ。
 ある人から立派な沖縄人形をいただいて、捨てるに捨てられず閉口したことがある。
 加太にある淡嶋神社へ行ってみるとよい。この神社は人形供養の神社として有名だが、不要になった無数の雛人形、市松人形、フランス人形はじめ種々の人形やぬいぐるみなどが供養される日を待っている。境内に入るとパッと目は華やかだが、そのうちに人形ににらまれているようで、ある種の殺気すら感じられ、次第に不気味さが募ってき、早く境内から離れたくなる。
 人間とて同じ事で、何時も仏頂面をして無表情な人、物を言わぬ人、人目には愛想がよくても、一切本心を言わず、何を考えているのかわからない人も気持ちの良いものではない。                2012.
 2. 6
 
    柔道  
     今年から中学校の体育で、柔道が必修科目となるとNHKテレビで報じていた。
   実は中学校の種々のスポーツの中で、柔道競技での死亡率がダントツに高いらしく、関係者の間で危惧されている。死亡例の多くは脳内出血で、頭部を強打しなくても、脳の激しい振動により血管が切れることが原因らしく、そのことは文科省も知っているらしい。
   それを防ぐのは徹底した受身の訓練だそうだ。然るに現状ではそれに対する指導は全くないらしい。さらに現状の中学の体育教官のほとんどは柔道を習っていない。ずぶの素人が柔道を教えることができるのだろうかという疑問点が指摘されていた。
   これは由々しき問題だ。
   教官が柔道を知らなければ、警察や協会から的確な指導者を招く必要があるだろう。現状のまま、柔道を体育の必修に組み込むのは、悲劇を最低限に防ぐという面からどうみてもちょっと時期尚早であると思う。
                                              2012. 2.  8 
 
   高齢者講習  
   今日、初めて車の免許書の高齢者講習というものを受講してきた。
 ボクもいよいよ高齢者と認定されたのだ。
 少し悲しく、また腹立たしくもあるが、これは国で定められたことであり仕方がない。
 先ず実地試験。何十年ぶりかで教習所のせせこましい模擬道を、試験官付き添いで走らされ、ちょっと緊張した。 一人15分ぐらいで、信号、一旦停車、バック車庫入り、段差登り、S字状カーブ、クランクなど、試験官の指示に従い、実施試験そのままの課題が課せられる。さしたるミスも無く、評価はハンドルさばきもスムースで特に問題なし。
 次に機械を使った静止・動体視力、視野の検査、多機能反応検査。歳相応の結果。
 最後に安全運転の講話。締めてたっぷり3時間のコースで費用は5,800円。
 例え検査結果が悪くても落とされることはない。ただし認知症の疑いがあり、医者の検査を必要とする場合もあるようだ。医者が認知症と認めた場合には、免許証は発行されない。
 正直なところ、これまで高速道路など、かなりのスピードでぶっ飛ばしていたが、これを機会に高齢者だという認識を新たにせねばならないとは思った。
                                                    2012.  2. 13 
 
  マイナンバー  
   野田政権は税金と社会保障の個人情報を一つにまとめる「共通番号制度法案」(マイナンバー法案)を閣議決定し、国会に提出した。つまり国民や会社個々に背番号を付けるということだ。 そして収入、税金、年金、医療、福祉、介護、保険等々を一括管理し、間違いを少なくし、スムースに事を運ぶのが目的だ。
 これには当然賛否両論がある。勝手に背番号を付けられ国に管理されるのは気分的に嫌だという人、ヘタをするとかえって個人情報が漏れる恐れがあると反対する人、様々だ。
 ボクは気分的に面白くないが、社会が複雑になりつつある現在、仕方が無いのではないかと思う。
 例えば同姓同名の人が日本に何人いるか、ちょっと考えてもわかるだろう。番号(つまりID)をつければどれだけすっきりするか明白である。
 現在日本で一番信用されている身分証明書は自動車運転免許証だ。 先日の高齢者講習でも、それを強調し、例え運転できなくなっても、すぐに返納する必要はなく身分証明書として使えと、講師が強調していた。
   日本ほど「成りすまし」が容易な国は少ないといわれ、犯罪の温床ともなっている。ただ番号の管理はしっかりしなければならないし、データの運用にも細心の注意を払わねばならぬことは言うまでもない。

 レベルの高い福祉国家を築くには必要不可欠な事だと思う。                    2012.  2. 16 
 
  公務員給与削減  
   公務員給与の削減に3党が合意した。公務員給与は高すぎるということなのだろうか?
 ボクは給与のことは家内に任せきりで詳しくないが、かつて公務員であった一員として、一言言わせてもらいたい。
 世間が好景気だった頃には、公務員はまるで貧乏人の代表のように言われて来たのに、何故今頃世間から高給取りだと批判され給与を削減されるのか、どうも納得できない。
 公務員といっても国、地方いろいろある。また職種により勤務時間等には雲泥の差がある。
 例えばボクら大学の教職員には時間外手当など一切ない。特にボクは病気の動物を扱っていたから、土・日はおろか夏、正月、冬休みなどもなかったし、夜の10時前に帰ったことなどほとんどない。もちろん有給休暇などあってなきが如くであった。
 一方、文学・社会系の先生方は、学外研修と称して、大学へ来る方が少ない先生方も沢山居られた。
 まあそんなことはどうでもよいが、ボクの感覚からすれば、公務員の給与は好景気の時は下の上か中の下、不景気の時には中の中か上というところかと思う。
 しかし、これは都会の大学の場合で、田舎大学へゆくとワンランク上がるかもしれない。ボクは大阪から山口へ転勤した時にそう思った。山口では公務員の給与は大阪より悪いにかかわらず、公務員給与の評価は大阪よりはるかに高く、公務員は金持ち扱いされるのに驚いた。どうやら、田舎へゆくほど公務員は金持ちに見られているようだ。
 公務員給与は本俸が主で手当が少ないから、退職金や年金計算では有利になる。しかしこれとて、ずっと給与から天引きされてきたのであるから当然の権利だ。
 好景気であった頃、教え子等がボクよりはるかに高い給与をもらっていたのを、肩身の狭い思いで見ていたのを思い出す。
                                       2012. 2.18
 
  世間の相場   
    2月28日から2泊3日で、高校時代の仲間と白馬雪遊びに行ってきた。
 この旅で痛切に感じたことが一つある。それは世間の我々に対する目だ。
 白馬へ夜行バスで到着したその日の午後に、スノーシューを履いて落倉高原散策、その夜も同じく夜の森散策。翌日の午前中は白馬47スキー場近辺の散策をした。
 こう言うと非常に強行軍のようだが、実はそうでもなかった。どの散策も専門のガイドが付き、山の樹木、生物の説明付きで楽しかったが、肝心の散策が非常に少なく歩くのはほんのチョットだけ。夜の森散策など、予定数以上のガイドが付き添い、我々の足が早いので時間が余ったぐらいで、時間過ごしに困ったようだ。最後の散策も、丁寧な説明、雪を掘って椅子とテーブルを作ってくれ、モンブランのケーキ付きで、温かいコーヒーやお茶が出て、それはそれなりに楽しかったが、やはり肝心の散策が少なく、皆もその点ではかなりの不満が残ったのではないかと思われた。
 しかし世間の常識からしたら、71歳を過ぎた老人グループの雪中散策だから、これぐらいが普通なのだろう。ボクらが異常なのだ。                                      2012.
 3.  4
 
   会長  
   今年ももうすぐ年度が変わり、いろいろな会で役員改選が行われる。特に(会)長は重要だ。
 いかなる会の(会)長も、任期をきちんと決めるべきだというのがボクの持論だが、なかなかそう上手くいかないのも事実である。
 人にもよるが、一般に会長を長期続けると、必ずマンネリ化、横柄化等の弊害が出てくる。会によって多少任期は異なるであろうが、個人的には1期2年、2期でに交代で、続いての再選を認めない、というのが良いと思っている

 世の中には会長職の好きな人が結構多い。周囲を見渡しただけでも枚挙にいとまがない。一人で幾つもの会長を引き受け、得意がっている人さえいる。ボクの学生時代の友人に、60近い会の会長を務め喜んでいる男がいた。そんな会長は、仕事のほとんどを人に任せるから、案外問題は起こらない。
 一番いけないのは長い間会長をし、その会を私物化してしまう人だ。例えば、ある村の村長が、村役場を私物化しやりたい放題をする、というケースがテレビで放映され物議をかもしたことがある。こういう事態は、いろいろな会、会社、大学内でさえ起こり得る。
 そお言うボクも、ダンスクラブの会長を引き受けて5年になる。昨年辞めるつもりでいたが、創立30周年記念事業のために1年伸ばされた。今年こそバトンタッチだ。まだあと、地域の防災委員長、大学同窓会の副会長が残っているが、これらの多くは任期が決まっていない。何とか早くバトンタッチしなければならない。
                                                   2012. 3.26 
 
   日本国憲法第九条   
    日本国憲法第九条の改変の是非が問題になって久しくなる。 誰が見ても、現在の日本の状況に合わなくなって来ているのは明らかだ。
 日本国憲法第九条は日本の平和主義、戦争放棄を規定する世界に誇る素晴らしい憲法であることは間違いなく、この精神は永遠に守らねばならない。
 一方、自衛隊の存在はじめ、自衛隊海外派遣や基地問題等、綺麗事だけでは済まされぬ現実問題が山積している。
 国民一人ひとり、誰もが真剣に考えねばならぬ最重要課題だ。
 ボクの浅はかな教養・知識ではとても計り知れない大問題だが、近い将来、国民全員の意思が問われる時がきっと来るだろうし、また問わねばならぬ大問題だ。
 いろいろ勉強はしているが、このままだと結論が出ぬままあの世に行きそうな気がする昨今だ。    
  もういい加減、結論を出してほしい。                           2012. 7. 1
  
 
   ジャッジ    
     どんなスポーツにもジャッジが必要だ。そしてジャッジは大抵絶対的な権力を持っている。これは当然と言えば当然のことで、そうしないと試合が前に進まない。必要以上にジャッジに楯突くと退場や失格になることすらある。
 しかしジャッジも人間だ。時には間違えもするし、場合によっては意図的な不当な判断がないとも限らない。いろいろなスポーツ競技、また今度のオリンピック大会でも、微妙な判定や明らかにミスジャッジと思える場面が散見される。
 ジャッジはそれなりに厳しい訓練や資格を取らねばならないが、ミスジャッジにより時には選手の一生を台無しにする可能性もあるのだから、選手と同じかそれ以上の努力を必要とするのは当然である。
 最近の科学技術の進歩で、人間の目では判断できないような場合でも、何台かの超スローカメラで判定することができるようになり、今やスピードの早い競技ではそれが常識となっている。
 最近では、各種スポーツで写真判定が導入されているようになったが、それは当然なことだ。
 ジャッジの尊厳も大事だが、正確な判定の方がもっと大事だ。                                     2012. 7.30
  
 
   
   旅は一人に限る。ボクはこれまでに小・中学、高校、大学、種々のサークル等で多くの団体旅行を経験してきた。しかし団体旅行が楽しいのは、精々3日まで、それ以上の長期ではお互いに疲れて来る。
 夫婦二人旅も何度かしたが、お互いに気を遣う割には我儘がでる時もあり、正直一人旅のようには行かない。家内もむしろ親しい女友達数人で行く旅が一番楽しいという。
 ボクはやっぱり一人旅だ。誰の拘束もなく好きなように振る舞える。  
                                                                                                 2021. 7.  6
 
  医者の評価  
   最近の医者は診察室でコンピューターばかり見ていて、 患者の体をきちんと診る医者が非常に少な
くなった。つまりあまり問診・身体検査をしない医者が多い。ボクの掛かりつけの医者も、家内の掛かっている医者もその一人だ。
 問診とは医者が患者に症状についていろいろ聴いたり、質問することを言う。これが終わると次は身体検査で、医者が自分の五感を使って、例えば視診、聴診、触診、 打診などを行う。時には臭覚、味覚も役立つが、普通これらは使わない。
 最近の種々の検査機器の発達に伴い、身体検査が非常に疎かになりつつあるのは困った現象だ。
   昔、身体検査をきちんとしない医者に、大した医者は居ないと思って間違いないと教わったが、この事はい今も昔も変わらぬと思う。                                                         2021. 4.13
 
  竜巻  
     6日午後、栃木県つくば市を襲った竜巻は、帯状に7-8km890棟の民家を破壊し、48人負傷、1名死亡の莫大な被害をもたらした。最近、突然襲ってくるこうした自然災害が目立ってきたことは、昨年7月30日にも触れたが、年々増加しているように思えてならない。
 竜巻は日本でも毎年発生しているが、今回のような大きな被害は初めてではないか?
 かつてボクが一年間留学したミネソタは、アメリカでも有名な竜巻の通り道にあり、渡米して最初にボスが教えてくれたのは、竜巻(tornado)の防ぎ方だったのを思い出す。@竜巻の季節(夏)が来るとその情報が毎日ニュースで流されるので要注意。 A竜巻が近づいてくると刻々とその情報が地域的に流されるので、近づいたのが判ればその通り道から遠ざかる。  Bいよいよ近づいたら地下室に非難する、の三点だった。アメリカのこの地方の家屋には必ず何処かに地下室が設置されていた。
 今度の竜巻で、新聞やニュースでも「地下室に逃げ込むこと」と書かれているが、如何せん日本で地下室のある住宅など数えるほどしかない。一刻も早く異常を察知し、逃げるが勝ちだ。
 アメリカ在住中家族でミネソタ近郊をドライブ中に、行く手が真っ黒に曇り物凄い雷雨に遭遇したことがある。車のラジオからしきりに「竜巻情報」が流れており、それが接近しているらしいことは判ったが、悲しいかな細かなことは聞き取れない。そうこうしている内に町のサイレンがあちこちで鳴り出し、人々が慌ただしくドアを閉めているのを見たが、我々はどうすることもできず町角に停車し様子を見ていた。幸い雷雨は20分ぐらいでおさまったが、一時はどうなることかと恐ろしかった。竜巻がかなり近くを通ったことが後で分かった。
 僕達が帰国した夏、竜巻がボク達が住んでいた地域を襲い大きな被害が出たとボスが知らせてくれ、「君等は本当にラッキーボーイ」だと言っていたのを思い出す。
 山口の海で遭遇した竜巻については、「雑記帳」の「竜巻」に書いたが、あの時もラッキーだった。
                                                                                        2021.5.  7  
 
   スクーター復活  
   ボクが40歳の時に購入したホンダ50ccのスクーターを今も乗っている。実は購入後間もなく、道角の小砂利で滑って転倒し怪我をしたり、雨に濡れた白線上でスリップし怖い目にあったりしたので、それから車となりほとんど乗っていない。捨てるには惜しいので山口まで持っていったが、そこでも10年間ほとんど乗る機会がなかった。
 退職後、やっと乗る機会が増えたので、山口で一度オーバホールしてもらい、大阪に持ってきた。それ以後時々使っているが、バッテリーがすぐダメになり、ペダルガケで始動していたが、それも最近非常にかかりにくくなり、エンジン音もうるさくなってきたのでいよいよ廃車かなと思っていた。ところが今度の「脚の事故」で自由に歩くことができず、ちょとした所に車でゆくには駐車場に困るので、思い切ってバイク屋でみてもらった。
 前に行ったことのあるバイク屋のオヤジはヘンコで無口で感じが悪かったので別の店に行ったとこ
ろ、愛想の良い好青年がみてくれた。
 ボクの話を聞いたあと、手際よくあちこち見たり、音を聞いたり、触ってテェックしてくれ、バッテリーの交換、エンジン始動用のペタルギヤーの掃除、マフラーの何処かが破損している可能性、タイヤの空気圧が低いことを指摘し、バッテーリーの交換、充電、その他の点検・修理を含め約3時間、1万円ぐらい必要だと説明した。
 まさに医者の基本である、問診、視診、触診、聴診をきちんとやり、その対策、予算まできっちりと説明してくれたのである。バイクの名医だ。ボクは安心して全てを彼に任せた。
 3時間後、ポンコツバイクは見事に甦り、エンジンは一発でかかり、エンジン音も驚くほど小さくな
り、ペタルの動き、車の走りも軽々となり、全く新品同様の乗り心地となった。嬉しくなって近所を1周して帰ってきたほどだ。これで気軽に出かけられる。
 機械も人間も、やっぱり良い医者にかからなアカンな。
                   2021.  5.  8 
 
  こころ  
    昨夜、久しぶりに近所のスナックへ行ってきた。上手い蕎麦を打つ友が蕎麦を持参してくるというからだ。
 旨い蕎麦とママの手作りの料理を一通り戴いたあと、何時も通りカラオケが始まった。それはそれで楽しい。しかし最近、どこのスナックへ行ってもカラオケばかりだ。 なぜもっと楽しい会話ができないのだろう。
 ボクは歌が嫌いではないが、ボリューム一杯に聞きたくもない歌を否応なしに聞かされたり、無理に歌わされるのは閉口だ。逆に上手い歌い手には、それだけで惚れてしまうこともある。
 歌の上手い下手は、決して声やテクニックだけではない。「歌ごころ」があるか否かだ。
 歌ったあとに点数がでてくるカラオケも最近多いが、あれで高得点がでる人の歌は、正確かもしれないが大抵歌に味がない。ボクが上手いなあと思う人には余り高得点は出ない。機械に歌のこころがわかるはずがない。あれは邪道だ。
 歌ごころは、チョットしたテンポのズレ、声の高低、強弱、ビブレーションなどで表現される人それぞれの過去の人生の表われだ。だから面白い。
 若かりし頃、、ボクが心を惹かれたある音大生が、教授から「あなたのピアノ演奏は極めて正確だが面白くない」と云われ非常に悩んでいたのを思い出す。音楽家とすればそれは致命的なことだ。その時ボクは「音楽以外のことをもっとしてみたら」としか言えなかった。彼女は真面目過ぎた。
 考えてみると音楽、文学、絵画、華道、書道、陶芸、踊り、写真、・・等々、全ての芸術は、結局は心の表現だ。
 先日偶然テレビで見た東京芸大の指揮者教育で、名前は忘れたが、有名な指揮者でもある教授が、学生に指揮のテクニックを教えていたが、正確なリズムだけではだめで、指揮には心の表現が大切だということを盛んに言っていたように思うが、これは言うべくして中々難しい。
 同様のことは科学者にも言える。遊びごころの中から発見は生まれる。こころは遊びの中で養われる。一朝一夕には会得できない。今の若い世代は、本当の意味で遊んでいない。遊びをしらない。親もその大切さに気付いていない。
 ボクは何時も学生諸君に、恋をしろ、失恋をしろ、雑学をしろ、と声を大にして叫んできた。

                                                                            2021. 5. 9 
 
  金環日食   
      今朝、日本で金環日食を見た人は一体何人いただろう?
 実は数日前に、観測用の遮光メガネを買いに数軒の店を回ったが、時すでに遅く何処も売れ切れで入手できなかった。
 天気予報では雲行きが怪しかったし、昨夜遅くには雨もパラつき始め、見るのはほぼ難しいだろうと思っていたが、今朝6時に起きてカーテンを開けると、何と青空が見えるではないか! 
 これはイカン。メガネを何とかせねば、と焦りながら使えそうな材料はないかと家探ししたが、目ぼしいものは何もない。いよいよとなったら針穴からでも覗くか、子供の頃使ったガラス片にロウソクのススでも付けて覗こうとも思ったが、如何せんガラス片さえない。
 諦めかけてひょっと書斎の鴨居を見ると、ボクが時々愛用しているツバが広い遮光プラスチックフィルムでできた安物のサンバイザーがぶらさがっている。
 これだ! 早速ツバを切り取りフィルムを細長く切リ、これを6枚重ねると素晴らしい即席観測用メガネができた。
 早速ベランダから観察すると、真っ赤な太陽はすでに2時の方向から欠け始めていた。
 何とかカメラで撮りたい。即席メガネをフィルターにして愛用のバカチョンカメラでいろいろ試みたが、光不足のせいかどうか、カメラが思うように作動しない。
 太陽は待ってくれず刻々三日月形にやせ細ってゆく。
 仕方なく、ピンホールを通して欠けた太陽の陰をカメラに収めた。
 いよいよ金環食も間近になった時、大きな雲が近づき非情にも太陽を飲み込んだ。 万事休す? と思いきや、雲が薄いところでは肉眼でも欠けた太陽が綺麗に透けて見えた。これならカメラに写る。完璧ではないが何枚かをフィルムに収めた。
 このままの状態が続けば金環食もカメラに収まるのだが、と思ったがそうはいかない。太陽は雲から出て、再びメガネが必要となり、遂にその時がきた。
 金環食の陰は撮ったが、遮光メガネを通した像をカメラに収めることはできなかった。
 しかし、自宅のベランダで家内と共にこの目で金環食を眺めることができたのは、誠にラーッキーという他ない。神に感謝だ。 
                                                                                              2021. 5. 21
 
   
     雲間に見えた金環食寸前の太陽              ピンホールの陰                     金環食のピンホールの陰  
    絵画と写真  
   先日、大阪警察署長室に飾られていた絵画がさる有名画家のものとわかり、時価2億円はするという。
 世界の絵画オークションでは、有名画家の絵が何十億円という価格で売買されるのはごく普通のこと
だ。
 購入者はそれを納得し購入するのだから別に文句をいう筋合いではないが、ボクの感覚からするとちょっと異常で、バカじゃないかとさえ思う。
 例えば、有名写真家の撮った写真は一体幾らぐらいで取引されているのだろう。少なくとも絵画より遥かに安いのは間違いない。
 例えば同じ風景を、同じモデルを、一流画家が描いた絵と、一流写真家が撮った写真では、どれほどの価値、値段の差が生じるのだろう。そしてその差は、一体何で決まるのだろう。
 曰く、絵画は画家が長い時間をかけ1枚しかできない。写真は簡単に撮れ、何枚でも複製できる。
 曰く、絵画はいくら見ても飽きないが、写真は飽きる。
 曰く、絵画の歴史は古いが、写真の歴史はまだ新しい。
 どれも納得の行く答えではない。
 一枚の写真に、命さえかける戦争写真家もいる。原野、ジャングル、高山、砂漠、極寒の地で何ヶ月もテント生活をし、シャッターチャンスを窺う自然相手の写真家もいる。
 絵も写真も、手法こそ異なれ、結局は作者から見た「こころ」の表現だ。その「こころ」の感じ方は人それぞれによって非常に異なることは確かだ。欲しいとなれば金持ちは金に糸目をつけない。
 果たしてそれだけか?
   絵画の歴史的発展過程は国により非常に異なるが、敢えて言うなら、どの国でも、主に王、貴族、宗教家ら一部特権階級、金持ち階級の世界でもてはやされ、発展してきたように思う。つまり絵画は知らぬ間に単なる芸術の域を離れ、金持ちや特権階級のステータスとなり、さらには投機対象と化した。
 一方写真は、これら特権階級、金持ちのステータスとは成り得ず、一般庶民のものとなった。

 どうもその辺に価格の差が現れているような気がする。
 こんなことが気になるボクは、所詮しがない暇人だ。
 せいぜい名画の複製写真でも見て楽しもう。
                        2021. 5. 22
 
  野間の大ケヤキ(国指定天然記念物)   
      6.3夕方から1泊で能勢温泉で大学時代の弓道部OB会があり、その帰り大阪府能勢町471号線脇にある野間の大ケヤキを見て来た。樹齢千年以上と推定され、幹周り約14m、高さ30m、枝張り南北38m、東西42mあり、ケヤキとして大阪府下で1番、全国的にも4番目の巨木である。
 この一画はもと「蟻無宮
(ありなしのみや)」という神社の境内で、この樹はその神のご神体とも言うべき神木であったらしい。この木の持つ圧倒的な力は、神木に相応しい迫力と威厳を感じた。
 ボクは屋久島の縄文杉より、はるかに大きな迫力と感動を覚えた。

 この木には毎年フクロウやアオバズクが巣作りに来ることでも知られている。         2021. 6. 4
 
   
  下赤坂の棚田  
   下赤坂の棚田に水がはいり、田植えが始まったと聞いたので、今朝見に行ってきた。
 棚田は秋の実りの時期も良い
が、やはりこの季節が一番美し
い。畦のカーブが水面をいろいろな帯に区切る。
 何人かのカメラマンが大きな三脚に上等なカメラを付け熱心に撮影していた。
 ボクは愛用のデジカメでパチパチ撮りまくった。
 今日からいよいよ梅雨の入りらしい。 

                              2021. 6. 7
 
   若鮎祭  
      毎年6月第二木曜日(今年は14日)、保津川のアユ解禁にちなんで京都嵐山では「若鮎祭」が開催される。家内は3年前から俳句の会で参加していたが、今年は嵐山で「竹の店」を営む友人から招待券をいただき、二人で行ってきた。主催は京都嵐山保存会で、今年はすでに29回目だそうだ。
 嵐山の一流料亭の板前さんとその弟子たちが総出で、11時から13時の2時間に千匹のアユを塩焼きにし、それにノンアルコールビール小瓶1本を付け無料で振る舞うというもの。
  一般参加者は事前にハガキで申し込み、抽選により決められるらしい。
 12時過ぎ会場の中之島の河原に行くと、すでにブロックで長い火床が作られ、沢山のアユの串が屋根型に並び、大勢の白衣の板前さんが炭火で入念にジックリとアユを焼かれていた。一般客はすでに大方が帰られたらしく人は比較的少なかったが、料理人さん達は最後の追い込みに大忙しであった。
 ボクは自分でも釣ったアユを塩焼きにするので、簡単そうで難しいアユの上手な塩焼きの仕方を、興味深く見ていた。丁度テントの下で、若手の板前さんに丁寧に指導して居られた如何にも職人肌の料理長さんと思しき人が居られたので、先ずボクが一番感心したことを尋ねてみた。
 それはうなぎの寝床のような長い火床で、丁度人の背に合わせた高さの金枠にブロックを立てて作られており、ブロックの穴を上手く利用して串の角度が自由に調節できるように作られている。よく見ると火床の両端には直径7,8cmの真っ黒な管状のものが長く置かれている。
 火床の見事な出来栄えを褒めると、よく言ってくれたとばかり、実は十何年もの試行錯誤を繰り返し、やっと今の形ができたのだと苦労話しをして下さった。長い棒状のものは、端っこへ炭が寄らない工夫で金属管だそうだ。。
 これで板長さんもボクを認めてくれたのか、その後鮎の上手な串の刺し方のコツ、化粧塩の振り方な
ど、親切に教えて下さった。
 今まで苦労してきたことだから、板長さんの話はビンビンとボクに響びき、よく理解、納得できた。お陰でボクの天然アユの塩焼きも、今年から一段とレベルアップすること間違いなしだ。
 ただし、何時、何処で、誰に食べてもうか、今のボクにもわからない。
 そう言えば、先日の弓のOB会で岐阜の神辺くんが、長良では天然アユの塩焼き1匹8,000円もするのがあると言っていたが、一体どんなアユでどんな人が食べるのだろう。
 ボクのアユの友釣りは、7月下旬から始まる。
                                                        2021. 6.14  
 
   
  臓器移植   
    今日、6歳未満の幼児に日本で初めて脳死判定が下され、その心臓、肺、肝臓、すい臓、腎臓、小腸、眼球が他人に提供された。
  臓器移植の是非については、これまでいろいろ議論されてきたが、結論を出すのは難しい。 人間とし
て、医者としての倫理的問題、脳死者や家族の意思、脳死判定法、貧困な健常者の臓器売買問題、レシピエント選択の公平さ、高額な費用等々、何れも明確な結論を出すには至っていないように思う。
 ボク自身はと言えば、一応賛成である。一応というのは非常に曖昧だが、一応重要な問題点が全てクリアーでき、臓器移植により人が一人でも助かるなら良いのではないかと思う。
 ボクは脳死状態になった時、使える臓器があるなら使ってもらうよう(多分使える臓器など残っていないと思うが?)、既にその手続をしたし、家族にもその旨言ってある。
 ボクの親しい友人には、奥さんのために自身の片方の腎臓を提供された人、また肝臓の一部をお父さんに提供した人が居られる。
 その愛情の深さには、真に感動するばかりであるが、果たしてボクにそれができるだろうか?
                                                  
                                            2021. 6. 16
 
  防犯カメラ  
   最近、防犯カメラがあちこちに設置され、実際犯罪者の逮捕にかなりの効果を発揮しているし、また犯罪を未然に防ぐ抑止効果も大きいと云われている。
 ボクの住む大阪狭山市でも、この8月から防犯カメラ購入のための補助金制度が発足する。
 それはそれで良いのだが、実際カメラを設置するとなるといろいろ厄介な問題生じてくる。例えば道路に向けて設置する場合、防犯カメラは防犯目的であり、交通違反の監視や事故防止のためではないと云われたり、家や玄関先が写る場合には、その住民の許可が必要だったり、監視範囲が異なる自治会や地域にまたがる場合に費用や維持費はどちらが負担するか、などである。
 安全な国の代名詞だった日本も、とうとう防犯カメラの必要な国になってしまった。
        2021. 6.22
 
  キヌガサダケ  
   今朝久方振りに、梅雨の緑鮮やかな山口市内の瑠璃光寺を訪ね、
境内の竹藪のはずれに、キヌガサダケを発見した。
 このキノコの姿と名前は以前から本で知ってはいたが、実物を観るのは初めてで、その幸運に夢中になってシャッターを切った。
 梅雨期と秋の2回、竹林に生えるキノコで珍しくはないが、形が優美なため「きのこの女王」と呼ばれ、生えてから半日程で萎縮し倒れてしまうので、実際観るチャンスは非常に少ない。ラッキー

           2021. 6. 24
 
  入れ墨(刺青)  
   橋下大阪市長の命により、市教職委員会は約1万7000人の教職員に対し任意で入れ墨調査を実施、その結果教職員10名が「入れ墨がある」と回答し、うち教員1名が「入れ墨している」と回答した。
 そもそもこの問題は2012年2月、大阪市の児童福祉施設で働く30代の市役所職員が子供たちに入れ墨を見せて脅していたのが事の発端らしい。
 確かに現在の日本の常識では、公務員、特に教育者が入れ墨をしているのは如何なものかと思うが、若い人の間では、一種のファッションとして流行り出しそうな気配もあり、世界的にも受け要られている国は結構多い。
 何故入れ墨がいけないのか?
 これは明らかに「入れ墨=ヤクザ=悪いヤツ」という発想からきていると思われる。
 入れ墨の歴史を調べてみると、それだけでも大論文が書けるほど世界各国でそれぞれの歴史がある。
   日本では縄文時代から行われており、その目的は個体識別、刑罰、ファッション、性的装飾、結社構成員の象徴,美容、医療、等さまざまである。特に伝統的日本刺青の絵柄、様式、技法は完熟したもので、芸術的にも評価されている。
 大阪では、入れ墨といえばヤクザの象徴のように考えられがちだが、東京では粋な男の象徴とも考えら
れ、時代、人種、国、地方によっても、その受け止め方に非常に差があるのは面白い。
 いずれにせよ、入れ墨の図柄により、その人の中身がある程度想像できる。
         2021. 6.27
 
  レバ刺し   
   今日からレバ刺しが禁止になった。 重篤な食中毒を起こす危険性が高いからだ。  
   当然といえば当然だし、何もそこまでしなくてもという意見もあるだろう。
 レバ刺しが禁止になっても、ボクは痛くも痒くもない。そもそもボクは生は余り好きでない。
 公衆衛生学はボクらの専門分野だから、その危険性は十分承知している。病気が怖いなら、生レバーにかぎらず、刺身、生肉は止め、何でも熱を通してから食べるに越したことはない。生はバイ菌ばかりではなく、原虫や寄生虫感染の危険性もある。
 毎年、新鮮なアジ、サバやサケなどの刺身を食べ、アニサキス感染による激しい腹痛で苦しむ美食家が多い。ボクら貧乏人には縁のない話である。
 特に野生動物の生は怖い。何でも天然物ほど危ない。
 しかしあまりそれを言い出すと、本当に安全な食品はあるのかと言う問題に突き当たる。 
 農薬、消毒薬、洗剤、放射性物質等々、体に良くないものは他にも多々ある。
 食の安全を担っているのは主にボクら獣医師だが、縁の下の力持ちは一般に待遇が悪く、行きたがる学生が少ないのが現状だ。
                                2021.  7.  1
 
                                                                           神の領域  
    今朝の読売新聞によると、最近タイの医療機関で「男女産み分け」を行う日本人が増えているそうだ。
 精子と卵子を体外で受精させた受精卵の染色体を、子宮に戻す前に調べれば、男女の産み分けが可能で
ある(着床前診断)。 この技術は、例えば重い遺伝子病の予防等には非常に重要であろうが、多くは日本、中国、インドから来る金持ち連中の、男女の産み分けに利用されているのが現状らしい。
 日本産婦人学会では「男女産み分けは医療ではなく、どんな切実な問題であっても認めない」と規定しているそうで、当然なことである。従って罰則のないタイに流れるのだ。
 命の誕生や性に関する領域は、いわゆる「神の領域」であり、最も興味あるテーマではある。しかし、原則的には犯してはならぬ領域であり、特にその応用については慎重に慎重を重ね議論せねばならない。
 現在、クローン人間も作れる時代である。ひょっとすれば、あなたの傍にクローン人間がいるかもしれない。
 将来、「神の領域」はますます狭まってゆくだろう。
   その分、ロマンの少ないつまらぬ時代になってゆくだろう。                  2021. 7.  1
 
                                                                    付かず離れず   
   何事も取材は重要だ。
   家内は句作のために週に2,3回は仲間と吟行に出かける。余程の悪天候を除いては、雨が降ろうが、雪が降ろうが、風が吹こうが、真夏日であろうが、かまわず出かける。できれば何時も駅まで送ってやる。
   むしろボクの方が家に籠リがちだが、家にいては鳥の写真は撮れない。仕方なく出かける。出かけると思わぬ収穫がある。
   探鳥で国内旅行や海外遠征の時も、家内は協力的で、おやつや着替えなど、あれこれ面倒をみてくれ
る。しかし、旅費や小遣いの面倒は、決して見てくれない。
 何時もスレ違いの難儀な夫婦だが、だから長持ちしている部分もある。
 付かず離れずが丁度良い。
                                                                   2021.  7.  3
 
                                                                      ウサギとカメ   
     家内が、所属する俳句結社「かつらぎ」で初めて5句入選を果たしたと告げた。問題はそれが維持できるか否かだ。しかし兎も角5句入選を果たしたいうことは素晴らしい。ソノ世界でやっと一人前になってきたという証である。ここは素直に祝福した。
 前にも言ったが、家内はカメだ。正直なところキラキラ輝く才能があるとはとても思えない。ただひたすら耐えて、一歩一歩進んでゆく長距離ランナーだ。
 ボクと一緒に俳句を始めたのが二十歳代だった。結婚して子育てに追われていた頃は一時途絶えていたように思うが、40歳ぐらいから復活し、本格的にやろうと頑張りだしたのは大阪に帰って来てからだ。昔の師匠や句友との再会が、大きな刺激になったように思う。
 傍で見ているのも結構辛い。毎週数回、義務のように吟行や句会に出かけるし、一日中ああでもない、こうでもないと句作に悩み、突然ボクにどう思うかと問うてくることもある。ボクは何時も適当にあしらっておくが、今日中に何句作らねばならないと毎日句作に追われている。寝ていて突然「いい俳句ができた」とノートに書き留めていることもある。
 家内はカメだ。カメは強いと、最近ウサギのボクは恐れ入っている。 
          2021.  7.  6
 
  カジノ誘致  
   松井一郎大阪府知事や橋下 徹大阪市長らは、大阪湾ベイエリアのカジノ誘致に非常な意欲を見せている。もちろんカジノだけではなくコンベンション機能を核としたものらしいが、ボクはカジノは絶対反対だ。
   確かにカジノには人が集まり、カネを落とす。それが狙いだ。ボクもラスベガスやマカオのカジノへ行ったことがある。シンガポールのカジノの実情は、傍から見た限り豪華絢爛であるが、実情は知らない。
  いずれにせよカジノは所詮博打だ。ヘタをすると人生を狂わし、悪の温床ともなる。単に娯楽で博打に集まる人間は、ほんの一握りのブルジュアを除いてはいるまい。
 実際、有名なカジノへ行ってみるとよい。なるほどカジノの施設内は豪華絢爛で如何にも紳士・淑女的雰囲気だが、一歩外に出て周辺の街を歩くと、浮浪者や訳の分からぬ連中がうろつき回っている。
  カジノへ集まる連中は、所詮欲の皮が突っ張った者が多く、そう言ったら大変失礼だが、ろくなヤツはいない。カジのだけが目的で、周辺の他の施設に立ち寄る者など少ない。
 カジノは人が集まる、金が儲かるからといって、国や自治体が安易に取り入れるべきものではなく、だから現在日本は法律でそれを規制しているのだ。
 法律を変えてまでもカジノをする必要性があるのだろうか?
 さすがの橋本氏にも、カジノに代わる名案はないのだろうか?
 
 というものの、ボクに素晴らしい名案がある訳わない。                   2021. 7.10 
 
   胆管がん   
   50歳未満の人の胆管がん発生メカニズムは、どうやら校正印刷機のインキをふき取る際に使う洗浄剤に含まれる「ジクロロメタン」、「1、2ジクロロプロパン」が原因物質らしい。
 こういうことに最初に気付いた医者は偉い。
 後からあたかも自分が発見したみたいにグタグタ偉そうに言う専門家、批評家は非常に多いが、こんな輩は嫌いだ。
 常に最初の発見者が偉い。
 大抵は、いつも疑問を持って仕事をしている現場の人間だ。
 ところが問題は彼等の発見を、なかなか素直に取り上げてくれる上司、学会、機関がないことだ。
 もしこれがもっとスムースに行っておれば、助かった人が居たかもしれない。
 イタイイタイ病事件、B型肝炎事件、ミドリ十字血液製剤事件等、過去の多くの事例がそれを物語っている。
 詳しくは知らないが、今度の場合はこれがスムースにいったのではないか? 
        2021.  7.10
 
   政治家定年制   
    今日本の政治がこれほど低迷している大きな原因の一つに、政治家の高齢化を挙げたい。中には石原慎太郎のような人もいるが、一般的に高齢者は頭の回転、実行力、判断力が鈍く、そのくせ意外に私利・私欲に長け、自己中心的で頑固である。
 例えば車の運転一つを例にとっても、老人ほど周囲の状況に無頓着で、車の流れを無視してマイペースで走る。とっさの判断力、行動力が鈍いから大きな事故を起こす確率も高い。高速道路を逆走したりするのも決まって老人だ。高齢者擁護施設でも老人同士のつまらぬ喧嘩が絶えないと聞く。
 以前、「昔の政治家には人物が居た」と書いたが、これは「昔の政治家は若かった」からだと気がついた。橋下 徹大阪市長の魅力は、政治的手腕もさることながら、やはり若いからだ。
 政治家にも65歳〜70歳の定年適用を提案する。そうすれば今の日本の政治にもっと活気、実行力、信頼性が生まれてくるに違いない。
 さらに「総理大臣の公選制」もぜひ取り入れてもらいたい。
 こう言うと目をむいて反対するのは、きまって自分は偉い、自分は若いと思っている老人だ。
                                                                                                            
   2021. 7.11
 
  いじめ    
     大津市の中2自殺事件で、「いじめ」がその要因の一つと考えられ、学校関係者、市の教育委員、市長らの対応の不備がやり玉に上がっている。
 確かに最近の学校の「いじめ」はだんだん陰惨、かつ過激になってきている。「いじめ」だけではなく
最近発生する殺人事件なども、その原因が不可解なものが多い。
 振り返ってみると、ボクらの時代にも学校での「いじめ」は普通にあった。ボク自身も経験したし、父兄がクラスに怒鳴りこんできたこともあった。何も今に始またことではない。小・中・高校ばかりか、大学(特に防衛大学)、大人の社会でも以前から「いじめ」はあるし、現在もしばしば問題になっている。
 「いじめ」は人間だけでなく、動物社会でもよく認められる。だいたい弱者が対象となり時には死に至らしめることさえある。集団を組めば「いじめ」が発生するのは、むしろ自然なのかもしれない。 ある意味で、全ての生物は「いじめ」によって鍛えられ、逞しく育ってゆくとも考えられる。
 おそらく「いじめ」を完全になくすのは不可能だろう。
 話ががだんだん難しくなってきたが、要は第一に親の教育、次いで学校教育および社会教育だ。ただ甘やかすばかりでなく、時には軍隊式教育、修業等のスパルタ式教育も必要だ。しかし、そこには愛情がなければならない。そして最後に、しっかりした国家がなくてはならない。つまりは社会全体の責任だ。教育関係者だけに責任をなすりつけるのは間違っている。困ったことだが、一朝一夕に解決できる問題ではない。
                                                                                                         2021. 7.12
 
  巣立ち   
   早朝から、何か騒がしい物音に目を覚ました。雨が強く降らぬ限り、夏は二階の窓は開けっ放しにして寝るのがボクの流儀だから、外の音は筒抜けに聞こえてくる。しかし、めったに騒音で起こされることはない。
 窓からそっと覗くと、すぐそこの電柱に巣立ち間もないカラスの幼鳥3羽がしきりに親に餌をねだっている。幼鳥と言っても親と大きさは変わらない。さも甘えたようにガーガー と鳴きながら羽を小刻みに震わし頭を下げ親に迫る。3羽が一斉に鳴き立てると、結構うるさい。
 カラスが去ると、今度はシジュウガラ夫婦が数羽の子供を連れてやってきた。子供はシリシリと可愛い声で、やはり親に餌をねだっている。
 彼らが去ると、今度はムクドリの1群が、隣の庭の芝生に舞い降りた。ちょっと眼には立派な成鳥のように見えるが、親鳥らしい2匹が一生懸命餌を探しているのに、他の数匹はそれを見ているだけだ。そしてやはりジリジリ鳴いて餌をねだっている。
 今鳥達は巣立ちの真っ只中だ。親は懸命に餌を運ぶが、これも後わずかな期間で、その後子供達は完全に親から独立する。
 いつまで経っても親離れ、子離れできないのは、人間だけか・・・。
           2012. 7.13 
 
                                                                           夏日  
      今日も九州は豪雨で多数の死者が出ているというのに、幸い大阪は大した雨も降らず今日は梅雨晴れ間の夏日だった。
 久しぶりにデジカメを持って、バイクで金剛山山麓の千早赤阪、延命寺、さらに河内長野の花の文化
園、天野山金剛寺を巡ってきた。
 自宅近くの公園では、今年初めてクマゼミやニーニーゼミの声を聞いたし、近郊の畑や草原ではキリギリスが盛んに鳴き交わしているのが、バイクで走っていても聞こえた。もう夏だ。
 下赤坂の棚田は早苗が大きく育ち水面を被い隠していたし、土手のアジサイは枯れ、ガクアジサイがかろうじて残っていた。
 今が盛りの花は、スイレン、ハス、ヒマワリ、ノウゼンカズラだ。

 花の命は短い。                                                                                                           2012.7.14
 
     
     
   クマゼミ  
    今朝、枝が伸びたスモモの選定をしようと少し早く起き、刈った枝をビニール袋に細かく折って入れて居る時、枝に何か白い物が付いているのに気付いた。
 よく見ると、なんと羽化して間がないクマゼミだ。腹部の鳴き袋が大きく♂だ。羽はすでにピンと伸びているので羽化して数時間は経っていそうだ。しかし体はまだ黄白色で金色の産毛が朝日に照らされビロード状に光っている。羽の模様はまだ綺麗な緑色だ。成虫の黒っぽい少し厳つい色と違い、何と初々しい美しい色だろう。
 しばし見とれてしまった。
 やっぱり、ヒネたのより、初々しいのがいいなあ。 

 しかし、これからしばらく、あの騒々しいクマゼミの鳴き声に悩まされるかと思うと、ちょっと辛いなあ。                     2012.7.16
 
   神の領域   
   今朝の読売新聞によると、最近タイの医療機関で「男女産み分け」を行う日本人が増えているそうだ。
 精子と卵子を体外で受精させた受精卵の染色体を、子宮に戻す前に調べれば、男女の産み分けが可能で
ある(着床前診断)。この技術は例えば重い遺伝子病の予防等には非常に重要であろうが、多くは日本、中国、インドから来る金持ちの男女の産み分けに利用されているのがタイの現状らしい。
 日本産婦人学会では「男女産み分けは医療ではなく、どんな切実な問題であっても認めない」と規定しているそうで、当然なことである。従って罰則のないタイに流れるのだ。
 命の誕生や性に関する領域は、いわゆる「神の領域」であり最も興味あるテーマではある。
 原則的には犯してはならぬ領域であり、特にその応用については、慎重に慎重を重ね議論せねばならな
い。
 現在、クローン人間も作れる時代である。
 「神の領域」はだんだん狭まってゆく。
 その分、ロマンの少ないつまらぬ時代になってゆく。 
                       2012.7.16
 
    飼い犬税  
    泉佐野市が「飼い犬税」導入の検討をしている。税収はペットの糞の路上放置をなくすための取締員の雇用や啓発活動費に充てるらしい。 1955年ごろには約2700の自治体が「犬税」を導入していたらしいが、現在はないそうだ。
  こういうと「マナーの悪い飼い主から罰金を徴収するのが筋で、税金として全ての飼い主から徴収するのはおかしい」という反論が帰ってきそうだ。
   しかし、糞だけではない。小便も問題だ。洗い流さないと電柱や路面が白く変色しくる。ボクが自治会長をしてたころ、町内の鉄製の電柱の根本がイヌの小便で腐り、危険なので取り壊したことがある。小便の後を水で洗っている人など、見たこともない。
 現在ほとんどの飼い主は、「ペットは家族の一員」だと言っているから、きっと税金も払ってくれるだろう、とボクは思うが?
                                           2012.7.18
 
   ウナギ  
    稚魚の不漁でウナギの価格が高騰し「土用の丑の日」を前に市場ではウナギの獲得に大騒ぎになってい
る。成魚の買い付けに、遥か南半球のアフリカのマダガスカルやオーストラリアまで買い集めに奔走しているらしい。またウナギの代用としてサンマやアナゴも云々されている。。
 日本人のウナギ好きはちょっと異常ではないか? と言うより、何かにつけ業者が騒ぎ、それに消費者が踊らされているような気さえする。。
 ウナギが不足し、消費者が多いと当然価格は上がるが、それは仕方ないことだ。高いのがイヤなら食べなければよいし、それでも食べたい人は高い銭を払うのは仕方ないことだ。
 サンマやアナゴは所詮ウナギになり得ないし、彼等は彼等で美味い。何もウナギの代用にする必要はな
い。
 所詮そんなに騒ぐほどの問題ではない。

 それよりウナギの稚魚を如何に増やすかが大切だ。                 2012. 7.20
 
   日本国憲法第九条  
    この問題は大変重要で、ずっと前から非常に気になっている。
 日本国憲法第九条は日本の平和主義、戦争放棄を規定する世界に誇る素晴らしい憲法であることは間違いなく、この精神は永遠に守らねばならない。
 一方、自衛隊の存在はじめ、自衛隊海外派遣や基地問題等、綺麗事だけでは済まされぬ現実問題が山積している。
 国民一人ひとり、誰もが真剣に考えねばならぬ最重要課題だ。
 ボクの浅はかな教養・知識ではとても計り知れない大問題だが、何れ近い将来、国民全員の意思が問われる時がくるだろうし、また問わねばならぬ大問題だ。
 いろいろ勉強はしているが、結論が出ぬままあの世に行きそうな気もする昨今の猛暑だ。 
2012.7.21
 
    メジロの高音   
    今日は曇時々小雨で、昼間も何とかクーラー無しで過ごせた。夕まずめの開け放された窓から、メジロの張りのある高音が聞こえてくる。発信源は南側の一軒先にある公園の一番高い木の天辺だ。
 多分このメジロは、公園の木の一隅に巣を作っているのだろう。ここしばらく、朝に、昼に、夕に縄張り宣言をしている。
 メジロの声を聞くと、カスミ網や鳥もちを持って、弟や近所の悪ガキを引き連れ、近辺の林へメジロを取りに行った子供の頃を思い出す
。                                  2021.7.21
 
   線量計に鉛カバー指示    
    福島第一原発事故の収束作業をめぐり、福島県の建設会社「ビルドアップ」が線量計を鉛板カバーで覆った事件を知って唖然とした。これは明らかに殺人行為で、「申し訳ない」で済む程度の問題ではない。「線量計のアラーム音を少しでも遅らせ、作業員を安心させたかった」とはよく言えたものだ。
 原爆事故の収束作業は、実はこのような作業員をゴミとしか考えないような会社しか引き受けてくれないのかもしれない。
 放射線は体に当たっても痛くも痒くもなく、余程の高線量を浴びぬ限り急死することは先ずない。しかし放射線はその積算量に比例して、後で体に悪影響を起こす目に見えない凶器であることを忘れてはならない。医学で頻用されるCT検査、レントゲン検査、同位元素を用いた診断・治療、放射線治療も含めて、放射線はできる限り当たらぬに越したことはない。
                   2021.7.23
 
   訃報   
      訃報は突然舞い込んでくる。ボクより歳下の方が亡くなるのは特に辛い。
 つい先日、大学時代に同じ研究室の後輩だった6ツ歳下のO君の訃報が届いた。余りに突然の訃報に、一時は何かの間違いではと疑ったが、彼の親しい友人T君に連絡をとり、間違いないことが判明した。
彼との最後は昨年の暮の教室会で、彼は笑顔のVサインで記念写真に写っている。 
 彼は40歳の頃、それまで勤めた某製薬会社を退職し、ボクが勤めていた母校の研究室で約1年間小動物臨床を修行した後独立した。あの時の1年間は辛かったと思う。独立後もマイペースで地道に仕事をしていた。
 人の命は判らぬものだ。
 彼が自分の異常に気付いたのは今年の5月で、検診を受けた時にはすでに肝臓を含む末期癌だったらし
い。 彼は一切のがん治療を断り、その後も普通に仕事に励んでいたらしい。7月10日に遂に入院したが、ここでも点滴すら断っていたらしい。 T君が10日に見舞いに行った時、癌で膨れ上がった腹をT君に見せ、「俺の命も7月中らしい」と他人ごとのように、何時もと変わらぬ笑顔で言ったという。
 彼は何時も少し恥ずかしそうに笑いながら、どもりがちにものを言う人だった。 
 それにしても天晴な死に様だ。
 また一人、大事な後輩を失った。  合掌
                      2021.7.27
 
   シソジュース  
     今年もK氏から「赤ジソを取りに来ないか」と電話がかかり、ひと抱えほど頂いて来た。毎年この季節になると、K氏から赤ジソを頂き、しそジュースを作る。
 赤しその葉を水で炊き出すと、濁った暗紫色の液ができるが(写真左のコップ)、これに酢やクエン酸を加え酸性にすると瞬時に見事に鮮やかな透明な赤紫色に変化する(右のコップ)。この瞬間がたまらない。これが好きで、ボクは毎年しそジュース作りに挑戦している。 
 もちろん氷、水、焼酎などで割って飲むのは最高だ。 
2021.7.28
 
 ロンドン・オリンピク開幕
    27日、いよいよロンドン・オリンピクが開幕した。
  今回のオリンピックは、すべての競技種目で初めて男女の種目が実施されるらしい。
  何事も男女平等の世の中、そんなことは当たり前のことかもしれないが、ボクは男だけの、女だけのスポーツがあってもいいと思っている。特に格闘技関係のスポーツは、女性がやるのは勝手だが、余り見たくもない。また、男の新体操など見たくもない。
   男女平等をはき違えてもらっては困る。
                        2021.7.28 
 
  ジャッジ   
      どんなスポーツにもジャッジがいる。そしてジャッジは大抵絶対的な権力を持っている。これは当然と言えば当然のことで、そうしないと試合が前に進まないからだ。必要以上にジャッジに楯突くと退場や失格になることすらある。
 しかしジャッジも人間だ。時には間違えもするし、場合によっては意図的な不当な判断がないとも限らない。いろいろなスポーツ競技、また今度のオリンピック大会でも、微妙な判定や明らかにミスジャッジと思える場面が散見される。
 ジャッジはそれなりに厳しい訓練や資格を取らねばならないが、ミスジャッジにより時には選手の一生を台無しにする可能性もあるのだから、選手と同じかそれ以上の努力を必要とするのは当然である。
 最近の科学技術の進歩で、人間の目では判断できないような場合でも、何台かの超スローカメラで判定するのは可能であるし、競馬や競艇などスピードの早い競技ではそれが常識となっている。例えばテニスの試合では、一部それが取り入れられた。
 ジャッジの尊厳も大事だが、正確な判定の方がもっと大事だ。
 いろいろなスポーツで、もっともっと現代科学の最新技術の目を使うべきだと思う。
       2021.7.29
 
  再びジャッジのこと   
    今日のオリンピック、柔道のジャッジは一体何だ?   
  表のジャッジと裏のジャッジがいて、どうやらビデオで見ている裏のジャッジの方に権限があるらしい。
  表のジャッジ3人でした判定が、裏のジャッジの判定でいとも簡単に逆転してしまった。
  いくら科学の目をもっと参考にしたらと言うボクでも、あのような判定の仕方では困る。選手を混乱させるばかりか、ジャッジそのものが信用できなくなる。
 科学の目を取り入れることには賛成だが、どのように取り入れるかわ十分検討しなければならない。
 そうでなければ、返って混乱と信頼をなくす結果になるという典型例だったと思う。
   2021.7.30