鵜の岬同期会 (茨城県立県立国民宿舎) |
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東日本大震災で大きな被害のあった東日本も、一年が過ぎ徐々に復興の兆しが見え始めた。そこで我が大阪府大獣医学科11期同期会は、少しでも被災地に金を落とそうという目的もあって、関東在住の今井、木村、高田の3氏に幹事をお願いし、今回の遠征となった。 これに応えて遠くは山口県大島、岡山から、24名のクラスメート中13名(奥さん1名)計14名が参加し大いに盛り上がった。今年で卒業後39年目、来年は40周年記念で海外遠征(韓国?)が決まった。 兎も角、皆元気で残された人生を謳歌しよう。 日 時:2012年5月30、31日 場 所:「鵜の岬」茨城県立国民宿舎。当国民宿舎は全国でも最も予約が難しいと言われる。敷地内には温泉が湧き、日本で唯一の海鵜の捕獲場がある。 参加者:有行、今井、大西、梶川、木村、佐伯、三溝、荘司、時信、高田、野村、吉開、山田夫妻 計14名 幹 事:今井、木村、高田 |
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30日晴れ 現地集合 宿舎園内散策 18:00 宴会 21.00〜23:00 二次会 |
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鵜の岬本館 | 伊師浜を望む | 遊歩道より本館を望む |
碁石ケ浦 |
本館 | スイレン池 |
スイレン池よりアヤメ池を望む |
ベランダからレストランを望む | ベランダから碁石ケ浦を望む |
全員集合 | ||
31日晴れ 帰宅組:山田夫妻、有行、吉開 残り10名は今井氏の友人2名のご好意、ご協力で車2台に分乗し、北茨城にある岡倉天心縁の茨城県天心記念五浦美術館に向かう。途中津波で流された家や被害にあった家が点在したが、現在では多くが修復、または更地となっており、云われてみないと被害状況は把握し難かった。 五浦美術館は海に突き出た岸壁に建っており70歳以上は入場無料。 広々とした館内で天心、横山大 観、下村観山、木村武山、菱田春草らの絵画を鑑賞した。美術館横の滄海広場から眺める太平洋は霞んでいたが穏やかだった。 次いで五浦岬公園の六角堂全景スポットに移動。大五浦(おおいずら)、小五浦とその真中の小さな岬には震災で流失後今年の春に再建された六角堂が望まれた。六角堂の背後の岸壁に建つ白い建物は、今日の昼食所の五浦観光ホテルで、津波で1階部分は破壊された。スポットに向かう道の土手には可憐な野の花が咲いていた。 五浦観光ホテルに車を止め、徒歩で六角堂の建つ茨城大学五浦美術文化研究所に向かった。途中黄門の井戸、岡倉天心の墓など見て、六角堂、旧天心邸など見学した。ここも六角堂の再建を祝し、5月いっぱい拝観無料。 五浦観光ホテルの食堂で思い思いの海鮮料理を食べた後、水戸の偕楽園へ向かった。途中の海辺に二ツ岩という海抜約20mぐらいの岩山があり、その天辺に生えていた樹木が津波により根こそぎ洗い流さ れ、現在は岩肌を露呈し、沢山の海鵜が占拠していた。磯原駅で木村氏は所用のため下車し帰宅、残り全員は水戸の偕楽園へ向かった。 東門から偕楽園に入り園内を横切り好文亭へ。今頃の梅林は時期的に少しも魅力なし。 好文亭も70歳以上は入場無料。四季おりおりの植物を描いた襖絵は見事だったし、点在する中庭は手入れがゆき届き、家屋と見事な調和を見せていた。 偕楽園を出てさらに近くにある旧水海道小学校本館(茨木県指定文化財)を見学した。これは明治の素敵な洋館風の建物で古いグランドピアノも保管されていた。 以上で全ての見学は終了。 駅に向かう途中で千波公園畔の公園の緑陰で、今井夫人が用意して下さったツマミを肴に一服。その後勝田駅まで送ってもらい解散した。 この同期会では今井氏のご友人には車の提供、運転と非常にお世話になった。 また今井氏および奥さんには本当にお世話になった。この場を借りて心より感謝申し上げたい。 また、少しでも金を落とそうと意気込んで行ったのに、見学した全ての入場料は無料で、さして欲しい土産もなく、結果的には余り金を落とせなかったことは少し心苦しかった。 |
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五浦美術館アプローチ | 五浦美術館玄関 | 滄海広場から |
五浦岬講演から見た六角堂 | 六角堂 | 五浦岬に咲く花 |
黄門の井戸 | 岡倉天心の墓 | 新しく建てられた六角堂 |
六角堂内部 | 旧天心邸 | 五浦観光ホテル食堂から六角堂 |
津波で樹木が流された二ッ岩 | 常磐神社本殿 | 東門より好文亭に向かう |
好文亭入り口 | 庭園 | 桃の間 |
つつじの間 | もみじの間 | |
松の間 | 竹の間 | 梅の間 |
庭園 | 萩の間 | 桜の間 |
庭園 | 庭園 | |
庭園 | 庭園 | |
楽寿楼 | 楽寿楼からの眺め | |
好文亭出口 | 旧水海道小学校本館(茨木県指定文化財) |