「平野町ぐるみ博物館巡り」ウォーキング 
2012.1.22(日)
    この日集まったのは女性11名、男性15名、計26名。珍しい参加者が多かった。
 平野は戦火をまぬがれ、古い町並みが残っている。  特に中世、平野郷は堺と並んで自由都市として非常に栄えた。
 まず駅近くの大念仏寺へ。有形文化財である山門をくぐると大きな本堂が建つ。ここで新年のご挨拶。このお寺は融通念仏宗総本山で、1127年開祖聖応大師が鳥羽上
皇の勅願によって建立された。その後幾多の出火にあい、現在の本堂は昭和13年に完成したものである。南門はもと古河河藩陣屋門であり、平野郷の藩政時代を示す唯一の遺構である。
  次いで杭全神社へ向かう。神社は平安時代の初め、平野郷の守護神として奉祀されたのが始まりであり、境内には樹齢800年の大楠が威容を誇っていた。大門は鎌倉時代の建物、拝殿後方の第一から第三まである神殿はいずれも重要文化財に指定されている。また境内に建つ連歌所は中世平野郷の文化的水準の高かったことを今日に伝えている。
 平野は環濠に囲まれており、境内の周辺には環濠の一部かと思われる流れがあった。


 近くの杭全公園で昼食。


 街には古い民家が残っており、途中立ち寄った元油屋だったとい
う民家には、まだ現役の古い竈が残っており、座敷など親切に見せていただいた。


 商店街周辺には古いお店が残っている。刀研ぎ屋さん、お菓子屋さん、染織屋さんなどが、一部仕事もしながら、町の博物館としての機能も果たしており、地域市民の町興しの知恵が感じられ、親しみ深くタウンウォッチングを楽しんむことができた。
 特に「まつや」の染織屋さんでは、現在商売をされている気配はなく、ご主人が中心になって町興しに貢献されているらしく、とても83歳とは思えぬ若さで熱心に説明をして下さった。










 商店街に隣接する全興寺は、住民の生活に密着している親しみがあり、境内では昔懐かしい「紙芝居」をやっていた。





 境内で、全員写真を撮りJR可美駅へ向かう。







 商店街に出た所に古い新聞屋の建物があり、その一部が新聞の博物館になっていた。
 環濠集落である平野郷には大小13木戸口があり、樋ノ尻口門は奈良街道、久宝寺、八尾へつながる木戸である。その袂に樋ノ尻口地藏が祀られている。
 大阪夏の陣に徳川家康がここを通ることを察知した真田幸村がこの地蔵に地雷を仕掛けたが、家康がちょっと座を外した時に地雷が爆発し、失敗に終わったという逸話が残っている。
 その前には、やはり大阪夏の陣で活躍した安藤次右衛門将正次の墓所がある。
 4時からあべのアポロビル地下のビヤホールで反省会。
 かくして楽しい一日は終った。