第182回 三田歴史ウォーキング
開 催 日:1月25日(日) 
集     合:10時10分JR三田駅改札口集合駅改札口
行   程:JR「三田」駅 → 三田市総合案内所 → 丹波街道 → 車瀬橋 → 旧九鬼家住宅 →
                三田ふるさと学習館 → 藩校造士館跡 → 川本幸民顕彰碑 → 陣屋跡(三田小学校)→
               古城跡(有馬高校) → 天満神社 → 心月院(昼食)→ 英蘭塾跡 → 西方寺 → 妙三寺 →
       陶祖神田惣兵衛住宅跡 → 鍛冶屋橋 →JR「三田」駅
歩   行: 約8キロ、約3時間程度(他に見学・拝観時間あり。)
参 加 者:26名(アイウエオ順、敬称略、下線はウオーキング、下線は反省会欠席、
         「 」は反省会のみ参加)
  女 性:12名(赤松、荒川、岡澤、奥野、栗山、
藤森丸谷、松山、森、吉澤、安場、「小川」)
  男 性: 14名(大谷、大西、岸田、黒川、佐藤、佐野(信)、東海林、谷川、二川、別所、堀内、
         山本(智)、屋良、安場)
 歩いた道を黄色で示した。矢印は道順。
JR三田駅前で説明と班分け。右の赤い服を着ている二人がガイドの荒木節夫、古谷均さん( 10:28)
丹波街道(北方)(10:44) 丹波街道(南方) 
 虫籠窓のある古い呉服屋(10:55) 車瀬橋( 10:53)
武庫川。橋の中央に三好達治と車瀬橋の説明(10:54)  
車瀬橋を渡り短い商店街を抜けると本町道り( 11:01) 
古そうな商店(11:03)   旧九鬼家住宅資料館(11:08)
 旧九鬼家住宅資料館  住宅内部 (11:10−30)
1階和室の二階は洋風  
普通屋根瓦は下のへの字型に積むがここは逆   この九鬼邸擬洋風建築を設計した
三田博物館跡(11:35) 
藩校造士館跡(11:36) 
川本幸民先生顕彰碑( 11:41) 三田城址( 11:41)
天満神社付近からの市内眺望。右第177回ウォークで登った有馬富士。三田市内(12:02) 
天満神社(12:05-20)
清涼山 心月院山門、奥は総門(12:48)
本堂:右手の脇堂内で昼食・休憩
ユーモアたっぷりの小島正龍住職自らの案内で寺内、及び宝物の拝観(13:29-14:08)  
 間宮林蔵の地図より古いという世界地図と日本付近の拡大図
素晴らしい宝物  隠し部屋への階段と隠し部屋の一部 
本堂  本堂前庭 
白洲次郎の系図   本堂見学終了(14:08)
藩主以外の九鬼家一族の墓(14:14)  白洲次郎(右)、正子(左)の墓(14:23) 
男爵九鬼隆一の墓(14:38)  三田藩主九鬼家一族の墓(14:53) 
 
心月院総門前で全員写真(14:54) 
 
心月院山門前で全員写真(14:56)

 西方寺(15:31) 正覚寺(15:38) 
初代三田藩主九鬼久隆の母御前の墓碑  妙三寺(15:45) 
妙三寺山門の奥に建つ三好達治の碑文  
陶祖神田惣兵旧宅跡(15:50)
反省会 / 新年会(三田駅前ビル5階の[香港市場三田店]で中華料理)
 
 
三田市在住の小川(日下)道子さんも参加 
 感想:
 三田市内観光は初めての経験だったが、実際巡ってみると古い歴史的建造物がほとんど現存せず、市の建てた立派な看板だけが目立っていた。どうしてそうなったのか、ガイドの人達も解らないと言っていたが、例えば近隣の篠山市でも結構多くの古い歴史的建造物や町並み、城址等が残っており、ここ三田市内でほとんどそうしたものが残っていないのはどうも納得できない。昭和の戦火にも合わず時を経てきた三田にしては、余りにも不思議だし残念なことだと思った。聞くところでは維新以後、三田の財閥家や由緒正しい家系、有能な人在の多くが神戸を始め大都会へ移住しており、そうした事情から歴史的建造物の維持・管理・保護等の経費のかかる事業を維持することができなかったのではないかと勝手な想像をした。
 ただ心月院の宝物は素晴らしいものが数多く残っており、ユーモアー溢れる院住自らの説明と共に一見する価値は十分ある。
 今回は知識豊富な素晴らしいガイドさんの説明を聞きながらのウォーキングだったので、それはそれなりに大変有意義ではあったが、正直なところ心月院を除き何度も尋ねる気にはなれなかった。