第5回 山中渓から布施屋(ほしや)
2011年1月8日(土)約18km 約5時間
  今日はいよいよ和歌山県に入るという期待を胸に、9:20 JR山中渓駅出発した。出発してすぐの山手に山中関跡がある(1)。東西から山が迫り、間に川が流れ、関所としては絶好の場所だ。南北朝時代にこの岸の和田氏の一族、橋本正高氏がここに関所を設け関銭を課したが、江戸時代に廃止されたという。
 交通量は結構多いが歩道もないR64のだらだら坂を上り、下った所にある境橋が大阪と和歌山の県境だ。その橋の大阪側の袂に日本最後の仇討ち場の碑が建っている(2)。文久3年(1863
)、土佐藩士広井岩之助は幕府の許可を得て、父の仇同藩士棚橋三郎を、紀州藩の「和泉側ですべしと」いう配慮に従い、この地でみごと仇打ちを果たしたという。これが日本で許された最後の仇討であると伝えられる。   
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 昔はアホなことをやったものだと思いながら、和歌山県に入ったという感慨も薄く境橋を渡り、R64からJRの踏切を渡った所が中山王子跡だ(3)。碑と案内板が立っていた。
 ここからほんの少しは自然が残る気持ちの良い街道であったが(4),再びJRを渡りR64に戻り、高速道路とJRに挟まれながら雄ノ山峠を登る(5:大阪側,6:和歌山側を見る)。峠を登り切ると眼下遥かに遠く紀の川沿いの平野と紀州の山並みが望まれ(7)、やっと和歌山県に入ったという実感が湧いた。  
 峠を下りR64から左手に分かれる道を下ってすぐ右手の谷川の前に、紀州国に入って最初の王子である山口王子跡がある(8)。やはり石碑と案内板があるだけだ。 
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 その道を下り、道標に従って山口神社へ向かう。この農道は近道でR64を横切り西に進むと参道に突き当たる。
 山口神社は奈良時代に坂上田村麻呂が蝦夷征伐に向かう際に戦勝祈願した社と伝えれらている。江戸時代は春日神社、維新後に日吉神社と称し、明治42年、山口王子社と白鳥神社を合祀し山口神社と改称した(10、11)。


 山口神社の鳥居は熊野古道に面して、ずっと下った山裾に建っていた(12)。
   
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  ここから少し寄り道をして里宿場町へ向かう。この辺は平地で周囲の山や家並が遠望でき大体の方角や距離が予測できる。
宿場には山口御殿がある。
 宿場町を歩き回っていると道端にえびす井戸を発見した(13)。この井戸は江戸時代からあったそうで井戸の奥に「えびす」が祀られていたのでその名があるが、えびすは明治40年代に山口神社に合祀された。この井戸は付近の住民や山口御殿の人が使用したという。
 山口御殿は参勤交代途中の休憩所でだ。現在の山口小学校・幼稚園の敷地にあった。小学校の校庭には御殿にあった石橋(14,15)が残されていた。
 小野小町の木像が安置されているという遍照寺(16)を通り過ぎて川辺王子へ向かう。   
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  この辺りの道には道標もなく非常に分かりづらい。適当に農道を行くと多くの地蔵が祀られていた。
 一旦上淡路街道であるR7に出て西へ向かう。交通量が多く道が狭い上に歩道もなく歩きずらい。約1km先で道標に従い左に折れ、畑の中に建つ川辺王子跡へ到着(17)。この王子は今回の行程で最も整った王子跡だった。 
 ここより中村王子社跡、力侍神社へ向かう。この辺りの街道は逆コの字型に不自然に迂回し、道を間違えたのか道標も少なくわかりずらい。しかし力侍神社らしい森が田圃の中に遠望できるので何とか歩けた。
 中村王子跡は道端に看板が立っているだけだ(19)。
 12:30に力侍(りきし)神社に到着。はやはり田圃の真中の小さな森の中にあった。参道が非常に長い。鳥居の前に川辺王子跡の石碑が立ってる(20)。江戸時代に川辺王子は八王子社と呼ばれたことがあり、この境内に遷座したためらし。
 向かって左に本殿(21)、右側が摂社八王子社だ(22)。いずれも桃山時代に建てられたと言われている。境内には他にも3つほどの神が祀られていた。ここで15分間の昼食休憩とする。
 現在の神社は明治時代に幾つかの神社を合祀した所が多く、境内に多くの社が合祀しているところが多い。  


 これよりR24の和歌山バイパスを渡り、集落を抜けると紀の川の堤防に出る(23)、そこが川辺の渡し場跡だ。現在は堤の下流に川辺橋(24)が架かっている。  
 



  南に高積山(25)、北に今日越えてきた泉山系を望み(26)、雄大な景色を楽しみながら川辺橋を渡る(27)。



  橋の上流は遥か橋本の辺りまで(28)、下流(29)は和歌山市内が遠望でき、大河が緩やかに蛇行しながら流れる。   






  紀の川を渡ればすぐJR布施屋(ほしや)駅だが、遠回りをして吐前(はんざき)王子跡を見る(30)。この王子跡も田んぼの端に碑が建つだけであった。
 
 布施屋発14:03発の王寺行き普通に乗り、橋本経由de帰宅した。この経路は案外時間がかかった。
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  感想
 仕方が無いこといだと思うが、王子跡の大半はつまらない。苦労して脚を伸ばして行ってもがっかりすることが多い。単に石碑だけだと往時を偲ぶことはなかなか難しいが、丁寧な説明文や紀伊国名所図会などの古図が記載されていると、往時を偲ぶことができ大変参考になる。
山口神社から平野部へ出てからは道標が少なく、力侍神社まで大きく道が迂回しており非常に迷いやすいが、方位がしっかりしていれば何とかわかる。それにしても何故ここで街道が異常に迂回しているのか、土地の人も理解しかねると言っていた。
 全体的に楽しい道ではなかった。