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 熊野古道を行く
はじめに 
  なぜ熊野古道なのか、熊野に惹かれる理由は一体何だろう。私は神や仏の信者ではないが、それらに対する畏敬の念は持ち合わせている。熊野には何故か底知れぬ神秘、畏れ、自由奔放、パワー、自然、生と死、あの世、そしてある種の妖艶さが感じられる。
 
 熊野本宮大社は清流熊野川の二つの支流がY字形に合流する中洲である大斎原(おおゆのはら)、すなわち女性の陰部を象徴する位置に祀られた。熊野三山は昔から女性に開放されており、熊野比丘尼(びくに)という女性達が全国を巡り熱心に布教活動をしていたが、後には旅役者や遊女に堕ちていった。妖艶さはそうい事実からくる私だけの想いかもしれない。

 熊野は実際恐ろしい。ニュースになったかどうかは知らないが、私が大阪府立大学に奉職していた時(昭和46年頃)、新宮警察の刑事さんが突然訪ねて来られ写真鑑定を依頼された。用件は何かの動物に咬み殺された樵(きこり)の事件で、動物が特定できないかという依頼であった。50歳ぐらいの屈強な樵が腰の山刀も抜けずに咬み殺された。現場には動物の毛一本落ちておらず、足跡が一つ見つかっただけであった。おそらく樵は仮眠中であったと推定され、遺体は頚と顔面の半分ぐらいが無残にも食いちぎられ、胸部にも何ヵ所かの咬傷があった。他の先生方の協力も得て鑑定したが、咬み傷や足跡から推定して、どう考えてもイヌ科動物の仕業としか考えられなかった。オオカミか、野犬か?。オオカミは一応絶滅したことになっているが、未だに生存しているという説もある。熊野の山には野生化した猟犬が群れをなして生息していることは猟師から聞いて知っている。おそらく後者と考えられるが、いずれにせよ熊野は油断できない山なのだ。

 その他、自宅から近いことも熊野古道を決めた大きな理由の一つであることは確かだ。

 実行するには先ず資料を集める必要がある。実は数年前から地図や関連する文献等を集めていたが、実際歩くとなると具体的で新しい情報を入手する必要がある。地図は北野高校70期讃山会のリーダー安場耕一郎くんからいただいたJR西日本発行「聖なる森、熊野古道を歩く」、同会会員奥野敏子さんから貸していただいた藤白神社発行「熊野への道:大阪編、和歌山編」、また購入した山と渓谷社「熊野古道を歩く」が非常に参考となった。

「ともかく始めよう。それから考えよう」というのが何時もの私の流儀である。